Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.91 )
日時: 2018/01/21 01:01
名前: あんず (ID: EQksipN6)

「いるのー?」

 玄関から耳慣れた声がした。重たいバッグを床において彼女を待つ。特に断りもなく家に上がり込む足音に、少しだけ緊張する。そして現れた、黒のコートと派手なネイル、少し濃いメイク。それに似合わず髪は真っ黒、纏っているのは甘い香水の代わりに甘い紫煙。キャバクラ嬢が、髪だけビジネスマンを真似て真っ黒にしたみたいだ。
 開け放したドアの前に立った彼女は、私を見て突然吹き出した。そんなに変か? 気に食わなくて自分を見下ろすと、手にはまだしおりがあった。二年三組、私の名前。どうやらこれで笑っているらしい。

「ねえあんた、あんたさ、それ見て準備したわけ?」
「……」

 派手な顔を睨みつけて黙ると、彼女は肯定と受け取った。一段と笑い声が大きくなる。沈黙はなんとかの証。日本語に八つ当たりしたって阿呆みたいだけれど、今は恨まずにはいられない。それにこの女の笑い声なんかで近所にバレたら、それほど馬鹿らしいことはない。

「あんたやっぱおかしいって。……それで? 殺したんでしょ?」

 どこ、リビング? 忘れ物でも探すみたいにあっけらかんとしながら、彼女は廊下へ出てしまった。マイペースにも程がある。細身の背中を慌てて追いかけると、リビングのドアはすでに開いている。そうっと覗くと、彼女は物珍しそうに部屋を見回していた。驚く様子はない。

「動いたらどうしようかと思った。死んでるね」
「うん」

 もうちょっと答えようがあるだろうに。彼女は特に気にするでもなく部屋を物色する。鉄さびの臭いと彼女の紫煙が混ざり合って、何とも言えず気持ち悪い。気を紛らわそうと映しっぱなしのテレビに目をやった。
 未だに主人公と悪役は戦っている。字幕に切り替わった画面の上、時折映る「勇気」の文字。勇気、勇気、ってなんなんだ。この主人公は正義感の塊なのかな。煩わしくて、悪役の方が人間じみている。

「冬でよかったね、寒かったら死体って腐りにくいんだよ」

 彼女の突然の声に振り向くと、ちょうどその手にあの包丁を握っていた。それからそっくり同じ場所に置き直す。得意げな顔をしている。何をしているか理解するのに、私の馬鹿な脳みそはたっぷり数秒を要した。

「これで共犯ってことで。いいでしょ」

 抗議をする前に沈黙が断ち切られた。怒ろうとして開いた口が、言葉を失くしてパクパクと動く。音を消した映画と何も変わらない、滑稽な私だ。そう思うと腹ただしくて呆れも失せてしまう。

「……捕まるよ」
「当たり前じゃん、共犯だもん。いいよ、私もこいつのこと大っ嫌いだから」

 それより逃げるんでしょ? 彼女は少しだけついた血をハンカチで拭うと、そのまま背中を向けてしまう。ずんずんと、来たときと同じように廊下を進む。なんなんだ、もう。慌てて部屋に置いてきたボストンバッグを引っ掴んで追いかけたら、彼女はすでにヒールの高いブーツを履いていた。足元にはキャリーバッグ。身軽に動くだとか、そんな考えは一切ないらしい。

 鍵をしっかり閉めて、マンションのエントランスを突っ切る。管理人のおじいさんが、行ってらっしゃいと笑う。行ってきます、といつものように笑い返して、足早に彼女についていく。多分、ここにはもう帰らないだろうけど。

「どこ行くの?」
「あんたが決めてよ。いいよ、どこでも」

 彼女はあの紫のラインの入ったケースから、煙草を一本取り出した。加えたまま火はつけない。私の答えを待っている。

「……京都」

 頭に浮かんだ地名をそのまま口にした。しまった。そう思うよりも前に、彼女の口から笑い声があふれる。苦しそうにヒイヒイして、甲高い声で高笑いみたいに。失礼なやつ。こんなことで怪しまれたら本当に、馬鹿みたいだ。

「いいよ、行こうよ、京都!」

 まだ笑いながら、彼女は駅へ向かう道を進む。我慢しようともせずに響く声がうるさい。こんなに大笑いしながら歩く私達は、やっぱり旅行にでも出かけるテンションだ。跳ねるように彼女が歩く。

「京都ったってさあ、お金あるの?」
「あるよ。それも割とね。私あんたと違って働いてるから」

 心配になって尋ねると、胸を張るように自慢気に返された。悔しい。でもこの女が意外にもきちんと働いているのは事実だし、私が働いていないのも悲しい現実だ。自分の薄っぺらい財布を思うと泣けてくる。

「まったく、あんたさ、あんな薬やってて暴力振るう男に捕まって馬鹿じゃないの?」
「……」

 説教じみた彼女の声がする。うるさいな。そう思うけど、こいつの優しさだってことくらい私にも分かる。耳を塞ぎたくても聞くべきかな。私は本当に馬鹿だけど、こいつはちゃんと真っ当に生きているから。つらつらと続いていく言葉は淀みない。もしかしたらずっと言いたくて、黙っていたのかもしれない。その言葉の中には私の知らない難しい言葉もいくらか混ざっていた。でもきっと、聞き返すのも無粋だろう。

「まあいいや。いくら言っても、殺したのはあんたの勇気だもんね」
「……そういうもの?」
「そういうものでしょ。あんたは勇気ある行動をしたんだって」

 あっけらかんとした声。

 ふと、あのテレビの吹き替えを思い出した。「問おう、君の勇気を」。正義感の塊の主人公。もし本当にあんな勇気を持った人がいたら、私は絶対に悪役だ。最後は倒される、それもいいかな。
 背中を追いかける。私も彼女も黙っている。遂にはっきりと死に顔を見ることのなかった、あの男を思い出す。あいつも私も絶対に悪役だけど、あいつにとって私は主人公だった。彼女曰く。私の勇気によってあの男は殺された。ざまあみろ。私の勇気は、あの男を倒すためにあった。それでいい。
 気分は清々しい。あいつに騙されて惚れたのは私だけど、それを終わらせたのも私だ。私の勇気だ。おめでとう私、今ははっきりと幸せだ。

 彼女の空いている方の手を掴む。黙って二人、手を繋ぐ。悪役の私達の手は、それでもこの寒空の下、熱いくらいに温かかった。

 
***
 
 はじめまして、あんずです。2レスになってしまいましたが、普段書かないジャンルを書くのは楽しかったです。