Re: 「息」をすること。 ( No.550 )
日時: 2019/09/27 00:27
名前: 綾音ニコラ@MRK (ID: WnH0WDbc)

下は自分で書いたもの。伝えられたかな?

あい、アイ、愛。「あい」というものは様々だ。

「I」。それは、自己。最初に必要なもの。「I」のおかげで、僕らは喜び、傷ついている。君もそうだろう?僕達はなぜ必死に生きているか……それは、これを知ることで全ては解き明かせる。

「愛」。それは、誰かを好きになること。誰かに必要とされること。間違った「愛」になると、彼らは傷つき、「愛」は平然と人を殺す。僕らは知らないが、人を救うのはその正しい「愛」なのだろう。

「哀」。それは、悲しむこと。強さでもあり弱さを見せること。誰かが死んだら、誰かは「哀」を知る。その「哀」を追うことは……いやいい。追うことで救われるが、君は終わってもいいなら。僕は追わないよ。

「eye」。それは、見るもの。それは光。失う者は、もがいてもがいて大切なものを見出す。持つものは、見る必要のないものも見てしまう。だが、見るべきものを観て瞼を閉じることが出来る。

「AI」。それは、はるかに優れた「モノ」。感情はまだないとされるが意志はある。誰かを「愛」することもいつかはできるだろう。その道がどうなるかは、僕が言えるものでは無い。

思えば、僕の人生は「むち」により外傷を負い、「あい」によって狂った。「救われた」ものもあったが、それは数える程度だ。

間違った「あい」を教えようとし、「無知」な僕らは「鞭」を受けた。その先に「あめ」があると信じて。

それでも、「あめ」は与えられなかった。あった「あめ」は、慰めも存在しない「雨」だった。

僕らに意味はあるのだろうか。意味を見つけられるのなら、僕らは苦しくならないのだろうか。

答えを求めることはできない。ああ、知ってくれる人はいないんだろうな。ここでは、もうなにも語れない。

「× × × 」と言えれば、済むことでは無いだろう。でも、何かを変えたいのなら、言ってみるのもいいかもしれないな。

「幸せ」なんて分からない。この世界から逃げ出したい。それでも、この狭い狭い世界で、「あい」と「むち」によって、狂って、笑って、泣いて、苦しんで、もがいて、僕らは生きなければいけないんだ。