ツイートから予測するしかないけれど、たぶん私が思っている以上に凄まじい追い込まれ方をしていて、もう正常な判断もできないところまで来てしまっていたんだと思う。
幻聴が聞こえてくるレベルだったみたいだし、多分周りに頼るとか、仕事をやめるとか、じさつなんてしたらどうなる、なんて思考も回らない。親や友人に何かを言うこともできないくらい、一人で抱え込んじゃったのかもな……と。
孤独だし、怖いし、寂しくてたまらなくて、こんな自分がなんのために生きてるのかとか、しんだほうが楽だって、思わずにはいられなかったんじゃないかな。それってすごく寂しくて苦しいことだったんだろうな、て。でも、しんだ瞬間もしかしたら苦痛から開放されて楽になれたのかな、とか想像して、もしそうなら、ただすぐに楽になりたかっただけで、しにたかったわけじゃないんだろうなって。あの人は、楽になれたのかな……。全部私の想像だけど。
そういえば姉と同い年だった。
あいちゃんは人生を24時間に例える話、知ってるかな。実年齢÷3で計算できるんだけどね、そうするとあの人は午前8時だったの。学校ならまだ授業始まってないし、仕事でもまだ始まってないとこも多い。物事が始まってすらいないことの多い年齢で、亡くなってしまったんだ。まだこれから楽しいこといくらでもあったはずだったのに。
なんか、私も割と辛いことがあったらじさつしよ〜とか考えて生きていた時期あったし、割と今もマジで仕事なくなってお金なくなって家もなくなくなったらじさつすればいっか〜とか考えていたけど、このくらいの繋がりでも、知ってる人が亡くなったらこんなに悲しいんだなって思うと、簡単にしねないね。悲しんでくれる人がいる、というより、悲しませちゃだめな人がたくさんいるんだなって思った。
まあどうだろう。私のことなんか興味ない人も沢山いるかも。
そしてまあ、じさつする人間は誰かを悲しませてしまうなんてことを考えている余裕なんかないんだよね。誰かが悲しむからしぬのをやめる、って言えるうちは結局生きる理由がまだあるか、しぬゆうきがないひとだから。
それ考えるともう本当にそこまで追い込まれてしまったあの人のことが可哀想でしんどい……。