Re: みんなでつくる短編集【SS投稿交流所】 ( No.135 )
日時: 2020/09/19 12:56
名前: おまさ (ID: ZXBN0Dyw)

すっかり秋に入りそうな時期になりました。大変遅くなってしまいすみません。「雨が降っていてよかった」の続きになります。

思ったより文章量が膨大になってしまったので、記事を3つに分けました。
季節外れですが、今一度梅雨の話にお付き合い下さい。

お題②
題名「雨が降っていてよかった②」

****



3







 
 知ってしまった。理解ってしまった。自分の苦しみが、…………焦りに他ならないことに。 
 気付きたくなくて、目を背けていたものに、無理やり気付かされてしまった。

 土曜日、カーテンと曇り空のせいでやや暗い自室にてひとり蹲っていた。壁に掛けてある時計の短針が3の文字から少しずれている。




 東屋での一件から今日で4日経つ。あれ以来ずっと、幻聴というには些かささやかな呵責が頭蓋に反響している。
『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

 ………厭。
 残滓というよりむしろこれは、……呪詛ではないのか。
 あの言の葉が、いつ如何なる時も自覚を促すことを強要する怨嗟に思えてならない。

『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』




 自覚、自覚というけれど。
 焦っている自覚をしたところでどうする。なにかを変えようとして、さらに焦燥に駆られる負の連鎖・増幅が起こりうるだけではないか。
 
 そうして、なにを変えればいいのか、何を為せば変われるのか解らず、むずむずとした状態こそーー焦りというものではないのか。

 変わりたい。けれど、結局は堂々巡りに陥る。いっそ開き直れとでもいうのか。だが、開き直りというのは自分への問いかけの天敵だ。蹲って何もせずにいるだけでは、状況は変わらない気がした。





………そもそも自分は、何を変えたいのだろう?


 自分自身? もしくは、この状況? 未来? 過去? 意志? あるいは、環境?
 わからない。
 何かを変えたい、変えなければ、とは思っている。だが、その「何か」が何なのかが掴めない。
 









『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

『ーーーじゃあ焦ってるの、気付いてるんじゃないの?』

「ーーーっ、」


 焦っているのは、努力が実を結ばないことに対してか、それとも……眼前の答えにけれど至れないことに対してなのか。
 結局、思考の堂々巡りという名の陥穽に嵌り、思索に嫌気が差して考えることをやめることにした。



 
 逃げていても状況は変わらないなんていう常識なんか分かってる。けれどどう立ち上がればいいのかが分からない。考えても考えても、頭は焦りに逸るばかりでちっとも答えが出てくれない。
「……クソ」

 頭を掻き毟り立ち上がる。思考が固着して駄目だ、気紛れに少しランニングしよう。軽く伸びをしてから自室を後にした。





 それが「逃げ」だと、ついぞ気付かぬまま。



4


 外に出てみれば、酷く蒸す日だということが分かった。
 勉強で気を紛らわせたりしながら一日中屋内にいたのだから、外出直後にこの蒸し暑さは少し堪える。ただ今日は、曇っているとはいえ雨の降る気配がしないのは少しありがたかった。
 軽く体操をしたのち走り始めて、しばらくすると例の東屋に着いた。

「ーーー、」
 どうしてだろうか。
 意識するよりも先に体が動いていた、とはこういう事を言うのか。無意識のうちに足を動かしていたらいつの間にかここに来てしまった。字面だけ見ると変にバカらしい気分になるが、けれど上手く説明できない。

 

…………ひょっとして、彼女を探しているのか?

 いや、それはないだろう。とかぶりを振る。
 自分があの少女を探していたとしても、探してーーーそれでどうする。
 謝るのか? それとも、謗るのか? あるいはーー、






「ーー何かを、訊きたいのか……?」

 不意に、そんな可能性に引っ掛かる。
 独り言だから当然、返り言はない。けれど口にして、確信が深まるような気がした。ランニングで弾む息とは別の何かが、心臓をどくんと動かす。

 行動しなければ。訊かなければ。
 気分は凪のように落ち着いているが、しかし使命感に逸る自分が再び、脚を動かす。気がつくとまた走り出していた。






 自分は彼女に、何が訊きたいのだろう。
 居場所、先の言葉の意味。……いやひょっとして少女の名前? あるいはそれらを含めて質問をしたいのか?


「………っ」
 いくら悩んでも答えは出ない。考えれば考えるほどに、さっき家にいた時のような堂々巡りに陥る気がする。徐々に不安と苛立ちが募り、思考放棄するーーーーその直前。

























 視界に、1人の人間の後ろ姿が映った。

 どうやらそれは細身の女性のようだ。少し位置が遠いから分かりづらいが、おそらく背丈は自分より低い。同年代のようだ。今、交差点でひとり信号待ちをしている。




 蒸す大気の中に僅かに吹いた風が、………その漆の髪をほのかに揺らす。

 華奢な指で髪を押さえたときにちらと見えた横顔で、確信した。
 あれはーー4日前に会った、例の少女だ。





「おーい!」
 名前は分からないから、叫ぶ。周囲からの視線を意識の外に追いやりつつ叫んだ。けれど少女は気付かない。
 信号が青に変わる。歩き出した少女は、すぐにどこかに行ってしまう。
 今しかない。今しか、呼び止められない。





ーーー距離、目視30メートル。



「おーい!!」
 再び、息を弾ませながら叫ぶ。実際は叫ぶというより半ばがなっていた。喉を痛めたが、代わりに少女は今度こそ振り向いてくれた。少女の足が止まる。交錯する視線。





ーーー距離、目視20メートル。



 不意に、こわいと思った。
 もしかしたら、自分は何かを訊きたいわけではないかもしれない。全く別方面の目的を持って少女を探しーー否、ひょっとしたらそれすらも誤りなのかもしれない。
 それらの懸念が、こわかった。


 けれど、呼び止めてしまった以上もう遅い。

 ……早く。
 訊かないと。
 訊かないと。
 だってそうしないと、きっと少女は去ってしまう。掴みかけた答えを手放すのは嫌だ。





ーーー距離、目視10メートル。





「あのさ、」
 弾む息を押さえつけ、掠れた喉で問い掛けようとした。ーーー瞬間。





 




























 少女のいる位置に突っ込んでくる車を、辛うじて動体視力が捉えた。








 しかしこちらに振り向いた彼女は、それに気付いていない。仮に今気付いたとて、反応は間に合わない。
「ッーーー!」



ーーー目視、5メートル。



 咄嗟に、右脚で地を蹴って間の5メートルを刹那でゼロにする。
 走ってきた分、結構速度が出ている。急停止して歩道に戻る時間もスペースも足りない。

 脊髄反射で、少女を前に突き飛ばした。

「………ぇ」
 呆然と声を漏らした少女。再び絡まった視線。まるで螺鈿みたいに綺麗な目だな、とぼんやり思い。同時に「間に合った」と緊張が弛緩して。























 それらを、スキール音と衝撃が無残に蹂躙した。


 耳朶と全身を凄まじい物理的暴力で殴られる。瞬間的に血管が圧迫されて視界が暗くなる。体が宙に浮き上がったのか、三半規管が攪拌されて、どこが上か判断できない。硬いしょうげ


ーーーーー。




ぁーーーーーーーーーーーーーーーーー。





5







ふと目を開いてみれば、知らない天井が見えた。

寝台に寝ていたらしい。重い頭を持ち上げようとしたところで、
「ーーづっ」

 全身を支配する倦怠感と軋むような痛みに目覚めを出迎えられ、涙目になりながら記憶の糸を辿る。




 たしか俺は………事故に遭って。
 身体に蔓延る倦怠感と鈍い痛みはそれでか。

 全身が粘土になったように重く、軋むようだ。中でも最もズキズキ痛むのは鳩尾近辺で、呼吸をするだけで視界に火花が散りそうになる。





 曖昧だった記憶が、徐々に色と温度を取り戻してくる。
 
 そうだ。あれは土曜日のことだ。
 あれからーーーーどのくらい経った?


 寝台の横に置いてある日めくりカレンダーは、5日後の日付を示している。





「ク、ソ……っ」
 またやらかしてしまった。
 5日もの間、意識が飛んでいたということだろう。ーーこれ以上の、時間を無為に浪費することなんてあろうか。
 焦って、それを変えようとして足掻いて、その結果がーーこのザマか。
「なんで……あんなこと……っ」


 何にもならなかった。
 五日間意識を飛ばして、けれど少しも前進できていない。それどころか蹈鞴を踏むことで焦りの沼に嵌っていく。
「……畜生、畜生、畜生、畜生……!」
 今更もう遅いと分かっていながらも、後悔せずにはいられない。



「………畜、生…」
 
 
 ーー傷とは別のなにかが、きりきりと肺と臓腑を締め上げているような気がした。





6


 先日程ではないにしろ、病院を出るといかにも梅雨らしく降り頻る雨が、病院の庭園のアジサイを弾いていた。





 その後、一応は退院となった。
 けれど医師には当分の間の運動を禁じられ、悔いすらももはや生温いものとなってしまった。今もこの身を苛むのは焦燥と呵責と怨念のいずれだろうか。どれであれ臍を噛む思いには変わりない。
 何にもできない。前進したくても、できない。
 

 思えば自分は、何にも成せていない。
 1年間、幾度となく必死に可能性に手を伸ばした。けれど届かなかった。
 努力はした。けれどもその努力はついぞ実らなかった。自分はただ徒らに一年を食い潰したのだ。
 
 そうして迎えた2年目もーー今こうして自ら盛大にぶち壊している。




 この時、もはや「焦り」などという言葉は思考回路から吹っ飛んでいた。今はとにかく、「変わっていない自分」への自嘲と、それを自覚したことへの衝撃が殊更に大きくて。

 
 前進していると、いつから錯覚していたのだろうか。
 一年前となにも変わっていない。なにも成長していない。
 

 何にも成長できなかった自分が変われるわけがない。今更変わるはずがないんだと、何度も何回も他でもない自分が体現していた。……破滅しない完璧な命題を、証明してしまったのだ。
 その証明を否定したくなくて、わざわざ車に突っ込んで練習できない体になったのだろうか。いや、最初から変化なんて望んでいなかったのかーー?




分からない。分からないことだらけで、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。思考を放棄する。

「………」





 病院を出て、どのくらい経っただろうか。ほんの十数分かもしれないし、それ以上かもしれない。
 けれど大切なことは、そんな事ではない。
 ーー眼前、気付けばまた例の東屋に辿り着いていた。




 そして、

「…………、」
 








 5日ぶりに再会した例の少女は、文庫本から目を覗かせてすぐにその目を伏せた。







Re: みんなでつくる短編集【SS投稿交流所】 ( No.136 )
日時: 2020/09/19 12:53
名前: おまさ (ID: ZXBN0Dyw)

お題②
題名「雨が降っていてよかった③」

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 雨は、嫌いだ。
 今となってはその理由も、単純に「前に進めないから」というものではない。
 雨が降ったら身体を動かせなくなって、無為に時間を過ごして………その上で。




 ・・・・・・・ ・・・・・・・・
 自分の中の嘘を、自覚するのが怖い。



 だから、雨は嫌いだ。
 




********************************


7
 


9日前、自身の焦りを気付かされた。

5日前、自覚したそれを自嘲に変えるきっかけを作った。

そうして今自分は、ここにいる。




眼前、目を伏せている少女が1人。
何を言えばいい。何をすればいいのか。そもそも何故、自分はここに足を運んだのか。

分からない。……けれど体は勝手に動いて、声も勝手に喉の奥からせり上がった。

無意識のうちに頭が下がり、腰を折り、そしてーーー、














「「ごめんなさい」」






 瞬間、何故か声が重なった。

 呆気に取られ思わず顔を上げると、同じく呆気に取られ顔を上げた少女と目が合った。しばしの静寂が落ちる。
 
 その静寂を破って最初に口を開いたのは少女だった。

「……な、んで君が謝るの…? 私……私のせいで、きみはひょっとしたら命まで危なかったかもしれなかったのに……」
「……俺も、何で謝ったのか……いや、」

 否、存外きっともう答えは出ているのかもしれないことを、何とはなしに察していた。



「………こっちこそ悪かったと思う。自分のことばっかで周りが見えてなかったのかもしれない。だからあんな、あんな下らないことを……」

 9日前、自分が少女に吐露したのは、自分の中で留めて抱え込んでおかねばならないものだった。自分で勝手に中身を曝け出しておいて、相手がそれに触れたとたん身勝手に撃発する。なんて反吐が出るくらい傲慢な構図だろう。ちゃんちゃらおかしい。


 けれど少女は頑なに首を振った。
「ううん。そんなことはいい。第一、煽るような言い方をしたのは私の方だし……」
「でも押し付けたのは俺だ。それにこの怪我だって、結局は自業自得だしな」
「っ、そんなこと…!」



「俺が、自分で選んだんだ。自罰なのか、それとも練習を諦めたくてやったのかは分からないけど」

 自ら構築した嘘にはきっと、とうに勘付いていた。見ないフリをしていただけだ。
 





 
 ーーー早い話が、自分は「努力する自分」を演じていた。それだけだ。




 そう、ポーズだったのだ。

 一年前の努力は、決して努力なんかじゃない。「自分は頑張っているんだ」と、形式的なわかりやすいポーズをとって、いつの間にか本音を糊塗して、自分すら騙して。そんな自慰行為と自己満足を「努力」と歪に認識していて。
 だから、この胸の内に瀰漫する「焦り」も、結局は自業自得であるのだ。即ち、ただの虚構に過ぎない。


 そう、だからきっとあの葛藤の日々もーー演技に過ぎなかった。
 空っぽだ。自分の中身はスカスカだ。欺瞞と騙詐しかやってこず、佞だけ巧くなった奸譎な人間にどんな価値があり、何を為せるというのだ。



 もっとも、これは当たり前のことかもしれない。
 「練習でできないことは本番でもできない」。よく聞く言葉だがその通りだと思う。経験していない未曾有に人は対応できない。ーーー何にもやってこず、何にも為せていない人間が何かを為し得る道理もない。ただそれだけの、子供でも解る単純明快な話だ。



「何もできないクズが俺なんだ。……当たり前だよ、そうなるようにしたのは俺なんだから」




 一年間頑張って届かなかった。……それを知らされた日から、きっと何かを諦めていたんだと思う。
 自分は変われないんじゃない。諦めて、一年前から足を止めたのだ。
 諦めて、変わる可能性を自分で遠ざけただけだ。


 成長できる機会を自ら潰して、時間を無為にした。一年という時間があっても、嘘をつくことしかやってこなかった。


 




 そのツケがこれだ。その結果が今の自分だ。


「もう自分は変われないんだって、手遅れなんだって本当は気付いてたんだ。……でも、認めたくなかった」


 認めたらそれこそ、……自分が何の理由で生きているのか分からなくなってしまうから。

 いつの間にか、「嘘」は存在意義になっていた。前身できず、己が価値を見出せなくなった自分にけれどそれでも、仮初のレゾンデートルが欲しくて。無意識のうちにも「嘘を吐き続ける」ことを理由にして、時間を食い潰してきたのだろう。


 嘘をついて、それでもなお感じる違和感に「焦り」というラベルをつけていたのだ。



「そんな自分が、今更変われるもんかよ。この先きっと、こんな醜悪な生き方しかできない。何もできないまま……何もしないで終わるんだ」

 自分は生きることが器用だ、などと自惚れることはない。自分がもし仮に器用だったなら、自分に対してすら仮面を被って生きる必要なんて無かっただろう。








「……何も、しないで?」

 さざ雨の中、ぽつりと呟かれた言葉。
 声の主ーー少女は続ける。

「それこそ違うよ。きみはもう、行動を起こしてる」
「…は、ぁ?」




 本気で、言っている意味がわからない。

 自分は何にも為せていないのだ。当然、思い当たる節は微塵もない。
 困惑し沈黙する自分に、少女は呆れたような、……少し照れ臭いような風にため息をついて、言った。







「あのとき私を庇ってくれた」






「ーーー、」


「きみが今、あの行いに対してどんな想いを覚えていても、結果として私は確かに救われた。ーーきみは、何もできない人間なんかじゃないよ」




 ーーー違う。

 そんな言葉が聞きたいんじゃない、と己の内の自分が吐き捨てるのが分かる。
 耳障りのそんな言葉を言わないでくれ。自分はそんな綺麗で高尚な人間じゃない。

 やめろ、やめろ。……やめてくれ。慰めないでくれ。
 だって慰められるべきは、慰められる余地を持った人間なのだ。それすらも自ら削った愚者に、慰めはあまりに酷だ。


 だからやめてくれ。慰めず、いっそ罵ってくれ。
 その方が楽だから。……自分を見限って、諦められるから。
 諦めさせてくれ。二度と立ち上がらないように、「愚か者だ」と完膚なきまでに罵ってくれ。




そんな己の中の想いが、言葉を吐き出させる。

「……でも俺は変わってない。一年前から少しも、前に進めてない。だから、」
「変われない?」
「……っ、これでいいんだ。そうあるように決めたのは俺なんだから」




 ーーもういいだろ、膝を折らせてくれ。

 ーー立ち上がるのが辛い。

 ーー立ち上がってまた築いたものが崩れ去るのが、怖い。

 ーーだから。





 自分は少女を、そんな懇願混じりの眼差しで見ていたのかもしれない。少女はまた一つ息をついて、

「きみは、酷く自罰的だね」
「ーーー、」
「……でもさ、」


























「そんな苦しそうな顔で言われても、説得力がないよ」
























「………う、え……?」




 自覚した。
 自分が、涙を流す寸前のような顔をしていたことを、ここでようやく自覚した。

 自覚したが、滂沱の一片が一筋の滴となって左頬を伝う。熱い感触。

「……ぇ、なん、で……クソ、」
 一滴だけ溢れた涙を乱暴に拭い、自分自身に問う。


ーーお前は今更、諦めたくないと言うのか。


 返り事は『分からない』だ。きっと、また挫けることもあるだろう。
 挫けるのは怖い。喪失への恐怖はまだ薄れていない。
 だから諦めたじゃないか。積み上げた物がなくなってしまうなら、いっそ最初からない方が良い。そうすれば、苦しい思いをせずに済む。

 諦めて、楽になったはずだ。


 
 ……けれど流れた涙の意味は、何なのだろう。


 その答えを出す前に、少女が口を開く。




「変わりたい。……それがきみの本音じゃない?」

「……変われなかった。一年前から、何も」

「本当に? きみは自分が嘘をついていることを自覚した。これは、変化じゃない?」

「……そんな……そんな、ものは…っ」

「確かに。所詮はただの心得違い、単なる言葉遊びかもね。……でもさ、そうした肯定感に救われることも受け入れてもいいと思うよ? それは堕落や依存とは違うし」
「……」

「誰だって、自分への背徳感と肯定感に飢えてるんだ。私だってそうだよ? 人間観察をしているのも、他人と自分を比較して『自分の方がマシ』って思いたいだけなのかもしれないし」



 それは少女の本音なのだろう。……不器用で、けれど懸命に存在証明している。



 それを聞いた途端、愕然となった。



 器用なのだろう、と最初は思っていた。
 こちらの心を見透かして、なおかつ過度に情入れすることもなく、あくまで客観的な意見を述べている少女は、器用に「生きて」いるんだとばかり。

 そんなわけがなかった。
 最初で最後の思春期だからこそ誰もが躓くのだ。だからこの少女もただの、真摯に足掻く10代の一人に過ぎない。


ーーー奇しくも、自分と同じ。







「……俺と、同じ………」



 そんな呆然とした呟きは、雨音に呑まれて消える。
 しかし、衝撃は殊更に大きかった。ーー悩んで、苦しんでいるのが自分だけではないのだと、そう示されたことで胸の内がどこか、すっきりとした気がした。
 











 深く息を吸う。空気はじめじめと湿っていたけれど、久しぶりに吸う外の空気をうまいと思った。



 
 深呼吸し、しばし落ちる沈黙の帳。決して嫌な雰囲気ではないそれを破ったのは、少女だった。






「深呼吸で落ち着いたかな。なにか変化でも?」
「……分からない。けど、今まで見てきたものとは別のものが見えた気がする。それがなんなのかはちょっと………よく分からないけれど」

「ーー。……そっか」




 寂しげに言い、少女は立ち上がる。
 その姿が、なんだかすぐにいなくなってしまいそうで「あの、」と咄嗟に声をかけた。振り向く気配。すかさず言葉を紡ぐ。




「あのさ、俺………変われるかどうかはまだ判らない。正直、まだ怖いんだ」

 未だに、積み上げてきたものを喪失するのは怖い。恐怖は克服できてはいない。ひょっとしたらもう、二度とテニスをできなくなるかもしれないという畏れも不安もあったし、仮にそうなった時、絶対に再び立ち上がれるという確証もなかった。
 けれど。


「でも、少しだけ……少しだけ、正直になってみる」


「………。」


「ありがとう。色々、気付かせてくれて」


 途中でどうにも恥ずかしくなって、後半は目を逸らす。
 少女は少し呆気にとられたのち、むず痒くなったのか頬を掻き苦笑いした。





「ーーー謝るためにきみを待ってたのに、なんだか結局謝れなかったよ」

 どう答えていいのか分からず、気まずくなるのを恐れて曖昧に微笑んだ。




 ふと、意識を空に向ける。

 雨は未だ降り続けている。傘を叩く雨粒の音がーーー今まで単に五月蝿いだけに聞こえていたものが、今となって深く、深く体に染み込むような感覚。
 心地よいわけではない。ただ、不快に感じることはもうなかった。