こんにちは。
9月中に間に合わせるため、2日で書きました。そのため少々ぎこちないかもしれませんが、よろしくお願いします。
なお、長くなったので2つに分けています。(続き:>>150)
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お題:⑪
題名:『ツキビト』
1(:Preamble)
「知ってる? 月って、同じ面を向けて地球のまわりを回ってるんだよ」
今から結構前のことだ。当時小学5年だった私は、由依のその言葉に「えっ」と一驚した。
由依はそんな私の反応に小さく笑うと、「えっとね」と楽しそうに説明を続けた。
「地球の周りを一回回る間に、月は一回自転するんだ。自転と公転の向きも地球と同じだから、地球から見える月は常に同じ面を向けていて、地球からは月の“表”しか見えてないんだよ」
そうなんだ、と相槌を打つ。
よく図書館に通っていた濫読家の彼女は、そうして本から得た知識を嬉しそうに私に話すのだが、私もその話を聞くのは好きだった。なんというか、見ている世界が広がるような気がしてワクワクするのだ。
「……奏ちゃんはさ、月って綺麗だと思う?」
問いかけに少しだけ思案する。
正直、月の美しさについてあまり考えたことがなかった。だからつい適当に返した。
「月? ……まぁ、綺麗なんじゃないかなぁ」
「“表”しか見えてないのに?」
ーーその問いかけに私は、言葉を返すことができなかった。
【序章-奏の場合】
早坂由依は、特技が多い人間だった。
私のような、常に空気に溶け込むような存在に比べれば、由依にはまさしく「多才」という言葉が似合う。そんな少女だった。
小学生のときには、男子よりも短距離走が速かった。
中学生のときには、美術コンクールで金賞を獲った。
高校生のときには、推薦で某有名私立大に進学した。
華々しい経歴を持つ彼女はその後、大手の証券会社に就職した。
顔立ちと気丈のいい彼氏と付き合うようにもなって、私が彼女に久しぶりに会ったときの笑顔は充実感に満ちていて、前よりも一層と華やかになった。
そんな彼女に対し私は、ある種の羨ましさは感じてこそいたがーー嫉妬はしなかったと思う。
だって嫉妬したところで、きっと由依には敵わないだろうから。他人と比べるのではなくて、自分はただ、自分のすべきことを確実にすれば良い。
それに私は、由依のような人と友達になれたことにむしろ誇りを感じている。
彼女の華やかな記憶の片隅に、少しだけ私の存在があればいいと、そう思うから。
【8月13日-奏】
8月13日。由依から手紙が届いた。お盆近くだったので暑中見舞いには遅すぎるし、残暑見舞いにはやや早い。
わざわざ手紙で寄越すなんて珍しいなと便箋を開けた。
***
ーーーー拝啓、名取奏様。
ご無沙汰しております。今年の夏も茹だるような暑さですが、その後お変わりはありませんか。
私は今、仕事の都合でひと月ほど仙台にいます。東京の蒸し暑い夏とは違って、少し爽やかです。
その後、お変わりはありませんか。
私の方は、先日悟の誕生日でした。彼は今は東京にいて、300キロくらい離れているけれど。
数日後、東京に帰ります。その時にはお土産を贈りますね。仙台の食べ物は美味しいですよ。
お互い、体調に気をつけて楽しく過ごしましょう。
早坂由依
***
読み終えてふぅ、と息をついた。
……やっぱり、由依はすごい。ちょっと前は名古屋にいたと思ったら、いつのまにか仙台にも行っていたなんて。
それだけ忙しいけれど、充実している。私は羨ましかった。由依みたいに、何かに貪欲に食らいつくなんてことは、私にはできない。
悟というのは由依の彼氏で、気立のいい好青年だ。由依も顔つきが整っている方なので、ふたりとも美男美女。それもかなり仲のいい。傍らから見ても、理想的なカップルなのは間違いない。
本当に由依はすごい。秀才で、真面目で、しっかりしている。
ーー由依が頑張るのを見る度、私も頑張ろうという気概を持てる。それもまた、事実なのだった。
【9月4日-奏】
9月3日。今年の夏は終わったとはいえ、残暑は未だこの街から抜けてくれない。
最近何か変わったかといえば、仕事が少し忙しくなった。残業も少しだけ増えた。
それは由依も同じようで、あの手紙以来LINEもEメールも来ない。もっとも彼女の場合、私なんかよりもいい職に就いているので繁忙の度合いも私とは全然違うだろう。
数週間くらい、誰とも連絡を取らない期間はある。
けれど由依の場合、普段なら週末にひとつやふたつくらいメールを送ってくれる分、最近の音沙汰のなさにはわずかな違和感を感じるのだ。
………やはりそれだけ忙しいということだろうか。
つくづく、由依の勤勉さには驚く。学生時代からそうだったけれど、彼女の真面目さはかなりのものだった。どうしてもだらけてしまうような休み時間でさえ適度な緊張感を持っていた。授業で居眠りした姿など一度も見たことがない。
そんな由依だからこそ、激務にも屈せず日々精進しているのだろう。
ーー由依が頑張っているなら、私も頑張ろう。一緒に頑張って、働きを互いに労おう。
夜景がちらほらと覗く、都会の黄昏に染まるプラットフォーム。残業が増えたから、いつもより一、二本後の電車を待ちわびる。
「………、」
ふと。
空に向けた視線の先。夕陽の残滓が未だ残る夜空に、綺麗な満月が見えた。スーパームーンというやつなのか、普段よりちょっと大きくて明るい。
都会の煌びやかさとは違う柔らかな月光。それを見ていると何となくだけれど、夜風も相まって少し落ち着いたような気がした。
激務の合間に、少し一息ついてもらいたいなという、そんなささやかな願いはきっと、届くことはないけれど。
それでも。
ーーあわよくば、由依もこの月を見ていればいいなとぼんやり思った。
>>149の続きです
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【9月29日-奏】
9月29日。10月前になって急に冷え込んで、半袖だと少し寒く感じるようになってきた。日も目に見えて短くなったように感じる。
2、3週間前と比べると、最近はだいぶ仕事の方も落ち着いてきた。今日に至っては3週間弱ぶりの定時帰りだ。
少し高めのテンション。不思議と足取りも軽い。自分への労いとして今日は少し美味しいものでも食べに行こうか、そうだ同僚のと飲みに行くのはどうか……とか考えている自分がいるあたり、完全に舞い上がっている。
未だ連絡はないけれどーーーー由依は今頃どうしているのだろう。
ひょっとして悟さんの家にいるのだろうか。きっと由依は私と話すよりも、悟さんと話した方が楽になれると思う。これはお世辞でもなんでもない、心からの本音だった。
実際二人はお似合いだし、悟さんは優しくていい人だと思う。もしかすると恋人と言わず夫婦になるかもしれない。仮にそうなった時、二人は生涯寄り添い続けるだろう。
……そうして幸せに、幸せに時が過ぎて。
由依には、幸せになってもらいたい。
悟さんには、由依を幸せにできる力がある。そして由依も、悟さんを幸せにできる。二人で幸福に、道を歩んでいって欲しい。
そしてその道程にひとつ、自分の存在があってくれれば嬉しい。
ーー幸せな旅路の中で時々、私のことを思い出してくれたらなと思った。
電話で由依の葬式の話を告げられたのはその後すぐだった。
【序章-由依の場合】
名取奏は、器用な人間だ。
私のような、自身を取り繕って他人の評価に寄生して生きているような人間にとっては、その自然さがとても眩しく思えた。
小学生のとき、色々と自分に付き合ってくれた。
中学生のとき、周囲に惑わされず自分を貫いた。
高校生のとき、嫌味もなく進学を祝ってくれた。
高校卒業後、彼女とは年に数回顔を合わせたりする程度の間柄にとどまっている。
彼氏の悟は顔立ちがいいだけだ。奏の前では皮を被っているけれど、そもそも他人の前で偽りの自分を演じている人間なんて碌な奴じゃない。鏡を見せられているようで吐き気がする。それにあいつとの夜も退屈でおもしろくない。結局はあいつが格好つけたいだけで、私を使って自分を慰めているだけなのだ。
ーーこんなことならいっそ、一生独り身の方がましだ。
そんなことは彼氏のいない奏には言いたくないし、言えないし、知られたくない。
………嫉妬、しているのだろう。
奏のまっすぐな生き方に惹かれて。けれどそんな生き方は私には眩しすぎて。無意識のうちに嫉妬していたから、いろいろなことをやった。
美術コンクールだってそうだ。猛勉強して大学に推薦入学したのもそうだ。……躍起になっているうちは、ひととき煩悩を忘れられる。
羨望もしていると思う。私も、奏みたいに正直に生きたい。
けれどとっくに虚構に塗れた私はきっと、一生嘘を吐きつづけるのだろう。
ーーそんな日々から脱却するような器用さは、私にはないのだから。
2(postscript)
冷たい風が吹いていた。
それは路肩の吹き溜まりを散らし、冷気となって耳を刺す。マフラーを押さえつつ、奏はある公園の前で立ち止まった。
時刻は5時半を少し回ったところだが既に日は沈み、都会の喧騒と夜空の静謐が混じった不思議な雰囲気の余韻が、静寂な公園に微かに流れてくる。
由依の葬式は、親族だけで静かに行われた。
死因は、縊死による自殺だった。
9月29日、由依の住むアパートで、クローゼットの中でこときれているのが見つかった。かなり腐敗が進んでいて、おまけに飼っていた猫が死体を喰らっていたとかで、現場は凄惨な状態だったらしい。
……何故、だろう。
あれほど恵まれて、あれほど充実していて、あれほど幸福そうな彼女がーーどうして。
自死なんていう道を、選んでしまったのか……!
分かっているつもりだった。
由依はすごくて、努力家で、明るくて、前を見据えて生きていて。
だからこれからも幸せな未来が続くんだと、そう思っていて。
その果てがこの有様だ。いつのまにか、分かっているつもりになっていた。
『“表”しか見えてないのに?』
ぽつりと、いつかの言葉が蘇ってきた。
今になってみると、それは奏を嘲り舐る嗤笑を伴ったものに聞こえる。
由依の『裏』の存在を忘れて、『表』だけが由依の本質なのだと傲慢にも錯覚していて。そう思って接していた由依は『表』を演じていたのだろう。ーーそうして徒に、由依に心労を煩わせたまま今日までのうのうと過ごしてきてしまった。
だからこれはきっと……そんな由依の演技に気付けなかった奏の罪なのだろう。
由依の虚飾に気付けず、彼女の内の暗澹を看過し続けた愚行の果てがこの有様なら。それは最早、…………私が由依を縊り殺したのと同義ではないのか。
断罪されるべきは、謗られ罵られ贖罪に苛まれるべきは奏であるのではないか。
否、むしろその程度では足りない。奏は梟首に処されることすら厭わないような恥辱と後悔、罪悪感に苛まれていた。
「……ごめん」
嗚咽にも似た謝罪が溢れる。
「ごめん。ごめん。……ごめん…………っ…」
「ごめん、ね………私、ぜんぜん………ゆい、のこと……分かって、あげられな、くて……ぇ………っ」
滂沱が滲み出る。吐露される懺悔を、ただ風の音だけが聞いていた。
返り言はない。当然だ。死者と生者は交われない。
もし由依がいるならばせめて、「お前のせいだ」と罵倒された方が楽だった。
けれど、死した者が二度と口を開くことはない。……死者に許しを乞うことも叶わない。
ーー名取奏が早坂由依に懺悔する機会は、死を以て永久に遠ざけられたのだ。
故にーー名取奏が、赦されることはない。
『“表”しか見えていないのに?』
声がーー否、怨嗟が聞こえる。
奏は半ば無意識に、天球に月を探した。今宵の幾望は夜の澄んだ大気に儚い光を落としている。
月は、綺麗だ。………綺麗なところしか、見えない。
だから。
「明日の月も、綺麗なんだろうね」
掠れた呟きは、闇と夜風に掻き消されて霧散した。
《了》