Re: みんなでつくる短編集【SS投稿交流所】 ( No.158 )
日時: 2020/10/25 21:19
名前: 心◆sjk4CWI3ws (ID: WE8rcBdU)

お題⑮ 窓、紅葉、友情


 窓の外の紅葉の赤が、余計に目立って見えてしまうのは何故だろう。いささか舞台が揃いすぎているように思うのだ、その葉は日に日に散り減っていくものだから。自分の死が祝福されているようにすら思えて、なら死ぬのも悪くはないのか、と。
 だから、自分の心臓の鼓動が止まる瞬間も怖くはなかった。でも、ほんの少し、あと少しだけ生きたかった、と思ってしまう。言い出したのは自分なのに、僅かに後悔する。
  
 カレンダーに貼られた記念日のシールが、午後の夕日を照り返す。窓辺のデジタル時計にうつる日付は、それよりも一週間ほど前のことだった。
□  △  □
 
「やほ、鹿野(かの)」
 
 軽やかな声が肩越しに掛かって、鹿野と呼ばれた少年は顔を上げた。手に握られた携帯端末の電源を切って立ち上がる。リノリウムの床と椅子が擦れあって音を立てた。
 
「遅かったな鹿崎(しかざき)」
「タピオカ買ってたのー。マジ梅雨とかウザいんだよね、前髪……」
 
 そう言って、鹿崎と呼ばれた少女は右手を掲げる。握られている容器の周りの水滴が、華奢で白い指を滑り落ちた。カウンター席に座る少年の隣のスツールを引いて、彼女は腰を下ろす。
 
「ビニール袋有料になったの知らなかったんだけど、ヤバくない? お金足りなくて死ぬかと思ったわ、ママにエコバッグ持ってきてもらわないと」
「どんだけ世間知らずなんだよ……てか何? ビニール袋なんて三円くらいだろ、そんなギリだったの?」
 
 顔を見合わせて笑い合う。高校生らしい軽やかな会話が、僅かに反響して消えていく。 
 
「ねえ、鹿野?」
「んだよ?」
「私と付き合ってくれない?」
 
 は、と微かに鹿野の口から疑問符が零れた。信じられないものを見るような目で、彼は目を動かす。
 
「……鹿崎は、死ぬのに?」
 
 ぽつりと、そんな言葉がこぼれていた。目に入るのは点滴の台。無意識に逃げようとして、スマートフォンの電源を入れる。そんな少年を見てか見ていないのか、幼馴染の少女はタピオカミルクティーを飲み干した。
 
「死ぬからだよ」
 
 甘い紅茶の香りがふわりと香る。この場所では大して珍しくもないパジャマとカーディガン姿。メイクして、髪も整えて、そこだけ見れば華の女子高生そのものなのに、異様に白くて細い手がそれを邪魔している。
 また一回り細くなったように見える体に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
 
「友達じゃ、ダメか」
 
 ホーム画面を開いて、無意識にTwitterのアイコンをタップする。画面が青く光る。ここまで起動が待ち遠しいことがあっただろうか。
 やっと開いたその画面に目を落として、少年はくっと端末を握った。
 
「男女間に友情なんてものは存在しないの」
 
 ざわざわと、雑音がいやに耳についた。消毒液のような香りが鼻をつく。周りを見回せば、鹿崎のような人間は沢山いるのだ。点滴を打ちながら歩いている者、車椅子に乗った者。
 
「どうせアニメ好きなアンタなら分かってるでしょ?」
「悲劇のヒロインがお前だってことか?」
「そそ。私は紅葉が散るのを病室で眺めながら死ぬの。すごいよね、私の病室ちょうど紅葉の木の隣なんだよ。なんかもう、死ねって言ってるみたいじゃん」
 
 くすりと笑った彼女の、緩くカールした髪がテーブルに影を落とす。
 どうしようもなく笑い飛ばしたくて、でもそんなことは出来なくて。画面に表示された呟きに目を落とした。大きなスマートフォンで表情を隠しながら、少年は呟くように言う。
 
「…………死ぬなよ」
「アンタが付き合ってくれたら死なない」
 
 さも何でもないことであるかのように、少女はそう言った。延命ということが、どれほどの痛みを伴うか知っていながら。
 
「分かった」
「じゃあ、二ヶ月じゃなくて四ヶ月、そうでもなくて二年! それぐらい続いて祝えるような関係にしようね」 
「分かってる」
 
 そのまま表情を見せることなく、少年は短く頷いた。
 友情が、崩れ去る音がした。
 
□  △  □
 
 窓の外の葉が赤く染まり、散り始め。10月が終わりに差し掛かった頃のことだった。
 鹿崎とのLINEに既読がつかない、と鹿野は思う。合唱コンクールで何を歌うかとか、伴奏は誰かとか、そんな話をしていたところだった。もう三日ほどだろうか。心配だが、見舞いに行けるほど放課後が空いていない。
 それに手術があるなんて聞いていないし、端末が壊れたと言うのも考えにくい。
 諦めてカレンダーのアプリを開いて、コンクールまでの残りの日数を数えた。もうあと一週間ほどで、実行委員としてしっかりやらねば、と思う。
 ふと、記念日のマークが目に入る。そういえばもうすぐ付き合って四ヶ月だな、と思い出した。二ヶ月の時は手術が被って結局は祝えずじまいで、つぎは四ヶ月だ。二年で祝えるような関係にしようと約束して、それでも祝うべき時は祝うべきだと彼は思う。
 彼女のことを思い出したからか、少し鼓動が早くなった。
 まさか、もう、死んでいるなんてことは、ないだろうか。
 
「ばっ、かじゃねぇの……」
 
 吐き出した息とともにそう呟いて、電源を落とす。期末考査までもう一ヶ月ない。勉強しようと端末をデスクの上に置いた時。
 ぴこん、と音を立てて、画面が点灯した。LINEの軽やかな通知音が響く。
 
『鹿野祥くん、でしょうか。娘が世話になっております。
 鹿崎香織の母です。
 今日、娘が亡くなりました。急に症状が悪化してしまって───』
 
 ポップアップウィンドウに浮かび上がったその長文を全て読みきることなく、少年はスマートフォンの電源を再び落とした。がたりと音を立てて、端末がデスクの表面とぶつかり合う。知りたくなかった。認めたくなかった。怖かった。
 彼は、我知らず叫んでいた。
 
「主人公は、俺じゃないだろ……! 舞台は揃ってるんだから、主人公はあいつで、だから───ッ!!」
 
 助かるんだろ、という言葉が喉の奥にわだかまる。
 ゆっくり顔を上げて、彼は恐る恐る手を伸ばした。もしかしたら。もしかしたら最後に、『ドッキリでしたー!』なんて文字が載っているかもしれないと、そんな期待を抱いて。
 ……光る画面に映し出された文字が冷酷に、主人公に現実を告げる。
 
『───娘と仲良くして頂いて、本当にありがとうございました。
 きっと、あの子も満足して逝けたと思います。』
 
 友情で踏みとどまればよかった。ずっと無視しておけばよかった。こんな三流ラブコメめいた結末なんて、迎えずに済んだのかもしれない。こうなると決まっていたとしても、恋になんて発展させなければ。主人公は自分ではなくて済んだのかもしれない。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって、荒れて、そして凪いだ。無数の後悔を経て、ぽつりと彼は呟く。
 
「二ヶ月で、ちゃんと祝っておけばよかった……」

 (了)

【ライトノベルが書きたかったです。禁書目録の影響を強く受けてざかざか書いたものですよろしくおねがいします】