「お前なんか、生きてるくせに」
弾けるような微笑みに含んだ声音だった。
そのくせ、どろりとした渇望と怨嗟に塗れた声音だった。
白銀の双眸に羨望と憎悪を滾らせ機構少女は嗤う。……心底羨むように。嫉妬するように。
「本当は、君はそんなこと望んでないんじゃないの? 本当は、自分の存在なんて判らないんじゃないの?」
「そ、れは……」
「判らないのが嫌で、自棄になってるんじゃないの? ———そうやって君は思考停止の末に、せっかくの命をかなぐり捨てようとしてるんじゃないの?」
後半は嫉妬を通り越して侮蔑も滲むような嗤笑を以て、機構少女は少年を糾弾——否、啓蒙している。
「その歪んだ価値観、一度撓めた方が君のためだよ。そんな生き方は、あまりにも勿体ない」
自分にはない「命」というものを持っているのに。 それを、……あろうことか投げ捨てようとは。
よくも、ぬけぬけと。
命の容れ物であるヒトが、模造品に過ぎないアンドロイドに命の価値を問われるとは、まさしく皮肉と呼んでいいものだ。
「……お、れは、死にたくは、ない。死にたいとは、思って、ない!!」
「けど、生きていたいとも思わないんでしょ? ———それはもう、死んでることと同じだよ」
「っ!?」
生きる意味なんて、ない。
生物には本来、そんな命題に答える余裕などない。ただ、生きるのに必死なだけだ。生命の樹形図の延長線上にいるヒトの生にもまた、意味などという高尚なものはない。
故に、ヒトを生かすものがあるとするなら———ヒトはそれを、「目的」と呼ぶ。
人生における「目的」は人によって千差万別だが、人類という種の観点からすれば「目的」は共通する。
……そう。
浮世に生きとする者は——たとえ蟭螟であっても——生まれ落ちたその瞬間から、「死」に向かって生きている。誰しもが例外なく、死ぬために生きている。
そしてその誰しもが例外なく、生への執着を持って生きている。それらの執着がなくなることがもしあるとすれば、それは命が潰えたとき。
だから、生きていたいと思わなくなったことは、『死』んでいることと同義なのである。
「———」
一瞥を向けた先、少年は呆然とした面色で、構えていた得物をゆっくりと下げていた。
「……あーあ、今回はこんな幕引きか」
聴覚センサに微かな反応があり、〈M-44GN7〉は後方に目線を向ける。
見れば、〈オスティム〉が唸りながらじりじりと迫ってくる。兎ほどの大きさの小柄な〈オスティム〉だが、群れているそれらが一斉に飛びかかれば、アンドロイドとて無事では済まない。
群れのうちの一頭がぴくりと耳らしき部位を動かした瞬間、白群の〈オスティム〉は牙を鳴らして吶喊した。
一頭が〈M-44GN7〉の臀部に食らいつく。
《警告》
《大腿部アクチュエーター大破》
《N9バイパス破損。したがってこれを破棄。以降はG12バイパスへ流動切替》
《第108から112番疑似神経回路、断裂》
インターフェースに警告の文字が、やけに喧しく表示される。
構わず、少年に向き直った。少年は、人型のものが目の前で喰まれるという現実感のない構図に呆然とするほかにない様子だった。
「君は、ボクたちみたいにならなくていい」
《警告》
《インタークーラーに亀裂発生》
《冷却液浸水》
「君は生きてる。 生きているのなら、希望はあるよ。……だって、」
《警告》
《機体の損傷過度により当機体を破《警告》
《警告》《警告》《警告》《警告》《警告》《警《警告》《警《警告》《警《警《警《警告》………。
「生きているんだから。 だから君は、ボクらみたいにならなくていい。……そんな生き方、命が勿体ないよ」
神の理に反した紛い物であるアンドロイド。その存在意義は死して屍を積み上げることだ。紛い物の命だからこそそれができて、………それしかできないから。
本物の命を持つ人間は、色んな存在証明ができる器用さを持っているから。
だからもっと、「生きて」ほしい。
インターフェイスが警告で埋め尽くされるのも構わずに、〈M-44GN7〉は花が咲くように微笑った。
「生きて」
そのまま、機構少女は地面に転がった。
少女の左脚は根元から千切れ、右腕は関節の数が倍になっていた。
視力は死んだ。鼓膜も既に残っていないけれど、金属製の骨盤が脊骨から外れる音がした。
右脚の根元から入った牙は、眼窩から侵入した牙と体内でぶつかり、そのまま横へ横へと機械仕掛けの臓腑を喰い荒らしながら進む。
声帯とともに脳髄が引き抜かれ、下垂体にも亀裂が走る。
最後に、残った綺麗な顔の皮が剥がされ、頭蓋に爪が迫り、そのまま『死』に陵辱される。
…刹那。
少女の骸が青白く発光したかと思った次の瞬間、——少年の網膜を暴力的な白光が灼いた。
自爆。
至近距離での爆発に少年は吹き飛ばされ、砂の上を転がった。次いで耳朶を殴る爆発音と、ぴりぴりと産毛を焦がすような熱が殺到する。
その衝撃波と爆風を至近距離で浴びた〈オスティム〉は当然無事では済まない。抉れ出た内臓は爛れ、色々欠け落ちた魂の抜け殻だけが残った。
当然だが、機構少女「だったもの」は爆散し、完全に沈黙。
———最期まで、その頬を微笑に歪めたまま、機構少女は砂に斃れた。
*****
〈オスティム〉に覆い隠されて見えなくなるまで微笑を保っていたアンドロイド。しだいに夜風がさらってきた砂に犯されてゆくその骸を少年は見ていた。
「…………、」
気付けば、いつの間にか剣を取り落としていた。砂に落ちた得物を拾い上げようと手を伸ばして、そこでふと伸ばした手を止める。
『生きて』
……自分は、思考停止の末に生きることを諦めたのだろうか。闘っているのは、もし命を落としてもそれが戦闘に依るものだと言い訳できるからなのか。
それは判らない。けれどもし、先のアンドロイドが語ったもの——戦う以外に、自分の存在を確定できるものがあるとするならば。言い訳を考えて死ぬよりも遥かに綺麗な生き方ができると思った。
それに。
戦い続け、戦うために余計なものの一切を切り捨てた果ての姿がアンドロイドなのだとしたら。
……あんな。
『お前なんか、生きてるくせに』
あんな姿に成り果てるのは———どうしても容れられなかった。
少年は、剣柄に伸ばしかけた手を引き、晦の暗い砂漠を歩き出した。砂地を歩くのは慣れているはずなのにその足取りはどこか拙い。
この先、自分がどこに歩いてゆくのかはわからない。そんな不安もあった。
ただ、戦い抜いたその先で羅刹のように笑うのは嫌なのだと。
———そんなささやかな主張を見届けるはずの月も、晦の今宵に限りいなかった。
《了》
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ちょっと専門用語(主に銃)があったので注釈をば。
・砂漠
夜になると寒くなるのは、植物など地中の熱を遮るものがないため、熱が大気中に放出されやすいから。あと、砂漠=砂丘みたいなイメージがありますが、世界の砂漠の大半はネバダ州の砂漠みたいに岩盤が露出してるタイプです。因みに、作中で出てくる砂漠はナミブ砂漠を意識してます。
・338口径が〜
実在する90年代のライフル用弾。飛距離は結構いい。.338ラプア・マグナム弾のバリエーションのうち.338口径 ロックベース B408が完全被甲弾ですね。
作中の時代背景に合ってない気がするけれど。
・フルメタルジャケット(FMJ)
微笑みデブは関係ないです。
完全被甲弾……つまり、弾を完全に硬い金属で覆った銃弾です。普通の弾は鉛でできているので着弾した時に潰れてかなり甚大な被害を出すので、陸戦条約でFMJを使うように定められてたり。徹甲弾(APSS)も似たようなものですが、あちらはタングステン鋼で弾を覆ってます。
長文失礼しました。