Re: みんなでつくる短編集【SS投稿交流所】 ( No.181 )
日時: 2021/02/05 22:11
名前: Thim (ID: XIMmHpeQ)

>>5>>26 続き


 棘を彼女の胸から抜き、そっと地面に横たえ、苦しみ一つない表情で眠る彼女を見つめます。
 さっきまで、彼女の歌声があんなに辺りに響いていたのに。今はこの世から音が消えてしまったように、静かでした。
 月が沈み、太陽が昇り始めて暫くしたころ。薔薇の木が悲し気に枝を揺らし始めました。

「あぁ、どうしましょう。小鳥は死んでしまった。せっかく薔薇が咲いたのに」

 ぼんやりとしたまま揺れる枝の先を見ると、彼女が咲かせた赤い薔薇は、最期まで希望に満ち溢れていた彼女のように凛とした様子で咲いていました。
 薔薇の木の嘆きの声は続きます。

「このままでは、青年に薔薇を届けられないわ。せっかく小鳥が咲かせたのに!」

 その言葉に急激に脳にかかった靄が晴れていくように、意識がはっきりして行きました。
 そしてピクリとも動かない彼女の体にすり寄り、頬を彼女の体に押し付けます。
 まだ暖かいのに。
 今にも目を開けて。「おはよう」なんて薔薇の木に言って、自分が咲かせた薔薇を見て、「なんて綺麗な薔薇なんでしょう」なんて飛んで驚いて、喜んで青年に届けに行きそうなのに。
 彼女は目覚めない。あたりまえです。だって彼女の魂は既に黄泉の国へと渡ってしまったのだから。
 彼女の体にすり寄ったせいで彼女の血が顔に少しついてしまった。頬から香る鉄臭い香りが、私の意識を一層覚醒させました。

「薔薇の木さん。その薔薇、私が届けに行きましょう」

 私の言葉に、薔薇の木は驚きました。

「それは本当? 本当に薔薇を青年に届けて下さるの?」
「えぇ、必ず。私が、彼女の薔薇を彼の元へ届けて見せましょう」

 薔薇の木は枝を震わせ、そして私の元へと赤い薔薇を持ってきてくれました。

 あぁ。なんて強い香り。
 街の花屋を通った時でさえ、これほどの匂いは嗅いだことがない。先ほどついた鉄の香りすらかき消す、甘くて、頭がくらくらする匂い。ずっと嗅いでいたら可笑しくなってしまいそう。
 けれどその赤い薔薇は今までに見たどの花よりも美しく、そして街中で見た人間の子供が持っていた砂糖菓子なんかより、ずぅっと美味しそうに見えました。

 可笑しいわよね。ただのお花なのに。

 今にも私を刺してしまおうとでも言うように、小さな棘が無数にあったけれど、私はえいやと一思いにそれを咥え、そして彼の家へと走り出しました。
 口に棘が刺さってとても痛かったけれど、それを離す事だけはしませんでした。時折香るくらくらする程の甘い香りが私の食欲を刺激したけれど、涎を垂らしながらも我慢してただ走りました。
 青年の家は分かるけれど、彼がいつまでその家にいるかは分からなかったから。止まっている暇はありませんでした。
 そうしてようやく青年の家に付き、ベランダに飛び乗り古ぼけた窓を覗き込むと、そこは丁度青年の部屋でした。彼は一枚の紙切れにペンを走らせ、時折ため息をついていました。
 私はほっと安堵し、ベランダにそっと薔薇を傷つけないように置き、そして青年に気付かせるべく窓をひっかきます。

 ――開けて、開けて下さい。小鳥の薔薇を持ってきたのです。貴方が欲しがっていた、きっとあなたの愛する人も満足してくれる、何よりも綺麗な薔薇ですよ

 そうしているとようやく彼は私に気が付きました。椅子から立ち上がってこちらへ向かってくる彼を見て、私は急いでベランダから飛び降り、近くの物陰へと隠れました。

「なんだ? さっき確かに……。あれ……こ、これは! 赤い薔薇だ!」

 青年は無事に薔薇を見つけられたようでした。ずんと疲れたような沈んだ声からパッと明るく弾んだ声に変わり、その薔薇を拾い上げると嬉しそうに部屋へと戻って行きました。
 もう一度窓を覗き込むとどったんばったんと騒がしく動き回り、大きな箱から洋服をアレでもないこれでもないとひっぱり出しては着て、ひっぱり出しては着てを繰り返すものだから、部屋は目も当てられないほど汚くなっていったけれど、一目で喜んでいるという事は分かりました。

 ――あぁ、よかった

 私はその場を引き返しました。彼女の薔薇なら、きっとどんな人間だって美しいというはず。だからもう大丈夫だと。
 踵を返す私の鼻に、ふわりと彼女の薔薇の残り香が香ってきます。毛並みについてしまったのかもしれない。何しろ、とても強いにおいだったから。
 甘い、甘い、脳が蕩けそうなほどの匂いはずっとずっと取れないまま日は過ぎて、とうとう夜になりました。

◇◆◇◆

 太陽が沈み月が昇り始めた時、私は我が妻にと狙ってくる殿方を避けて過ごしていました。
 多くの方は強さを競うために戦っていましたが、そこで負けた方やマナーの悪い方は直接こちらへやってくるのです。
 そして今も一匹、無作法な殿方がやってきました。

「何度も申し上げているように、私は強い方以外と番うつもりはありません」

 その殿方は血のように赤い瞳を持っていた。だけど目立ったものと言えばそれ位で、それ以外は凡庸な方だった。確か戦いでも中盤辺りで敗れて居た筈。そんな殿方と番うわけにはいかない。この世界は弱肉強食。少しでも強い遺伝子を取り入れ、子どもを生かさないといけない。だからこの長きにわたる殿方たちの戦いをじっと待ってきたのですから。

 私がその思いを伝えても「でも」「だって」と女々しく言い訳をする方を冷ややかに見つめていると、視界の隅に何かが映りました。
 それは、目の前にいる彼の目なんかよりも美しく、綺麗な赤色をした薔薇。そう、あの青年が小鳥の薔薇を持って、動きづらそうな服を着て歩いていたのです。
 顔は薔薇に負けず劣らず真っ赤に染まっていて、体が固まっているかのように不自然に歩いていました。
 そして気づきました。彼は今からあの薔薇を意中の人に渡しに行くんだわ、と。

 ――そうだわ。少し後ついて行って見てみましょう。

 そうと決まれば目の前の雄なんて意識の外。戸惑う彼を置いて、私は青年の後を追います。
 自分の体の大きさならば態々隠れずとも人ごみで隠れるだろうけど、何となく見つからないように隠れて歩いてみる。そうして歩いていると前に、人間の子供がしていた“すぱいごっこ”なるものを思い出した。あの頃は人間とはなんて無駄で馬鹿な事をしているのだろうと思っていたけれど、なるほど。これは存外面白い物ね。

 青年はずぅっとガチゴチに歩いている。まるで銅像が歩いているかのように。その姿に思わず笑ってしまいました。
 大丈夫よ青年。あの子の薔薇ならば、どんな人間だろうと夢中になるに違いないのだから――


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文字数オーバーで二つに分けました。次で完結です。