>>5>>26 続き
棘を彼女の胸から抜き、そっと地面に横たえ、苦しみ一つない表情で眠る彼女を見つめます。
さっきまで、彼女の歌声があんなに辺りに響いていたのに。今はこの世から音が消えてしまったように、静かでした。
月が沈み、太陽が昇り始めて暫くしたころ。薔薇の木が悲し気に枝を揺らし始めました。
「あぁ、どうしましょう。小鳥は死んでしまった。せっかく薔薇が咲いたのに」
ぼんやりとしたまま揺れる枝の先を見ると、彼女が咲かせた赤い薔薇は、最期まで希望に満ち溢れていた彼女のように凛とした様子で咲いていました。
薔薇の木の嘆きの声は続きます。
「このままでは、青年に薔薇を届けられないわ。せっかく小鳥が咲かせたのに!」
その言葉に急激に脳にかかった靄が晴れていくように、意識がはっきりして行きました。
そしてピクリとも動かない彼女の体にすり寄り、頬を彼女の体に押し付けます。
まだ暖かいのに。
今にも目を開けて。「おはよう」なんて薔薇の木に言って、自分が咲かせた薔薇を見て、「なんて綺麗な薔薇なんでしょう」なんて飛んで驚いて、喜んで青年に届けに行きそうなのに。
彼女は目覚めない。あたりまえです。だって彼女の魂は既に黄泉の国へと渡ってしまったのだから。
彼女の体にすり寄ったせいで彼女の血が顔に少しついてしまった。頬から香る鉄臭い香りが、私の意識を一層覚醒させました。
「薔薇の木さん。その薔薇、私が届けに行きましょう」
私の言葉に、薔薇の木は驚きました。
「それは本当? 本当に薔薇を青年に届けて下さるの?」
「えぇ、必ず。私が、彼女の薔薇を彼の元へ届けて見せましょう」
薔薇の木は枝を震わせ、そして私の元へと赤い薔薇を持ってきてくれました。
あぁ。なんて強い香り。
街の花屋を通った時でさえ、これほどの匂いは嗅いだことがない。先ほどついた鉄の香りすらかき消す、甘くて、頭がくらくらする匂い。ずっと嗅いでいたら可笑しくなってしまいそう。
けれどその赤い薔薇は今までに見たどの花よりも美しく、そして街中で見た人間の子供が持っていた砂糖菓子なんかより、ずぅっと美味しそうに見えました。
可笑しいわよね。ただのお花なのに。
今にも私を刺してしまおうとでも言うように、小さな棘が無数にあったけれど、私はえいやと一思いにそれを咥え、そして彼の家へと走り出しました。
口に棘が刺さってとても痛かったけれど、それを離す事だけはしませんでした。時折香るくらくらする程の甘い香りが私の食欲を刺激したけれど、涎を垂らしながらも我慢してただ走りました。
青年の家は分かるけれど、彼がいつまでその家にいるかは分からなかったから。止まっている暇はありませんでした。
そうしてようやく青年の家に付き、ベランダに飛び乗り古ぼけた窓を覗き込むと、そこは丁度青年の部屋でした。彼は一枚の紙切れにペンを走らせ、時折ため息をついていました。
私はほっと安堵し、ベランダにそっと薔薇を傷つけないように置き、そして青年に気付かせるべく窓をひっかきます。
――開けて、開けて下さい。小鳥の薔薇を持ってきたのです。貴方が欲しがっていた、きっとあなたの愛する人も満足してくれる、何よりも綺麗な薔薇ですよ
そうしているとようやく彼は私に気が付きました。椅子から立ち上がってこちらへ向かってくる彼を見て、私は急いでベランダから飛び降り、近くの物陰へと隠れました。
「なんだ? さっき確かに……。あれ……こ、これは! 赤い薔薇だ!」
青年は無事に薔薇を見つけられたようでした。ずんと疲れたような沈んだ声からパッと明るく弾んだ声に変わり、その薔薇を拾い上げると嬉しそうに部屋へと戻って行きました。
もう一度窓を覗き込むとどったんばったんと騒がしく動き回り、大きな箱から洋服をアレでもないこれでもないとひっぱり出しては着て、ひっぱり出しては着てを繰り返すものだから、部屋は目も当てられないほど汚くなっていったけれど、一目で喜んでいるという事は分かりました。
――あぁ、よかった
私はその場を引き返しました。彼女の薔薇なら、きっとどんな人間だって美しいというはず。だからもう大丈夫だと。
踵を返す私の鼻に、ふわりと彼女の薔薇の残り香が香ってきます。毛並みについてしまったのかもしれない。何しろ、とても強いにおいだったから。
甘い、甘い、脳が蕩けそうなほどの匂いはずっとずっと取れないまま日は過ぎて、とうとう夜になりました。
◇◆◇◆
太陽が沈み月が昇り始めた時、私は我が妻にと狙ってくる殿方を避けて過ごしていました。
多くの方は強さを競うために戦っていましたが、そこで負けた方やマナーの悪い方は直接こちらへやってくるのです。
そして今も一匹、無作法な殿方がやってきました。
「何度も申し上げているように、私は強い方以外と番うつもりはありません」
その殿方は血のように赤い瞳を持っていた。だけど目立ったものと言えばそれ位で、それ以外は凡庸な方だった。確か戦いでも中盤辺りで敗れて居た筈。そんな殿方と番うわけにはいかない。この世界は弱肉強食。少しでも強い遺伝子を取り入れ、子どもを生かさないといけない。だからこの長きにわたる殿方たちの戦いをじっと待ってきたのですから。
私がその思いを伝えても「でも」「だって」と女々しく言い訳をする方を冷ややかに見つめていると、視界の隅に何かが映りました。
それは、目の前にいる彼の目なんかよりも美しく、綺麗な赤色をした薔薇。そう、あの青年が小鳥の薔薇を持って、動きづらそうな服を着て歩いていたのです。
顔は薔薇に負けず劣らず真っ赤に染まっていて、体が固まっているかのように不自然に歩いていました。
そして気づきました。彼は今からあの薔薇を意中の人に渡しに行くんだわ、と。
――そうだわ。少し後ついて行って見てみましょう。
そうと決まれば目の前の雄なんて意識の外。戸惑う彼を置いて、私は青年の後を追います。
自分の体の大きさならば態々隠れずとも人ごみで隠れるだろうけど、何となく見つからないように隠れて歩いてみる。そうして歩いていると前に、人間の子供がしていた“すぱいごっこ”なるものを思い出した。あの頃は人間とはなんて無駄で馬鹿な事をしているのだろうと思っていたけれど、なるほど。これは存外面白い物ね。
青年はずぅっとガチゴチに歩いている。まるで銅像が歩いているかのように。その姿に思わず笑ってしまいました。
大丈夫よ青年。あの子の薔薇ならば、どんな人間だろうと夢中になるに違いないのだから――
***
文字数オーバーで二つに分けました。次で完結です。
>>5>>26>>181 続き
青年の後を追って、この丘の上にある大きな屋敷までやってきました。
(ここに住んでいるやつらは私たちの事が嫌いだから、見つかると大変な目にあうって、前に誰かから聞いた事があるからあまり近寄らないようにしていたのだけど……)
屋敷のお庭には沢山の草花が咲いていました。花屋で並んでいるような物も、見たことのない物もたくさんありました。恐らくこの屋敷の女は花が好きなのだろう。だから薔薇の花を欲したのだ。
だったらきっと喜ぶでしょう。顔も見た事もない女だけど、その女の顔が喜びに染まる姿は容易に想像出来ました。
――なのに
「何です、この薔薇は」
胸元に赤い石を付けた女は顔をゆがめてそう言いました。
青年は、呆けた顔で彼女の顔を見つめています。きっと、私も。なんでそんな顔をするのか分からなかった。だって、貴女が求めていたもののはずなのに。なのにどうしてそんな、汚物を見つけた時のような、道端で力尽きた仲間をみる様な顔をするの。
「なんだか変なにおいがするわ。それに色もくすんでいて、私のドレスが霞んでしまうでしょう。なんてものを持ってくるの?」
「そ、そんな……キミが赤い薔薇を持ってきた人と踊ると言ったんじゃないか! だから僕はこうやって」
「あら。私そんなこと言っていないわ。貴方の勘違いじゃなくって? それに私、このブローチをくださった方と踊ることになったの。貴方のようなセンスのない花を贈るような方じゃなく、綺麗な宝石を送って下さるような、素敵な方よ」
そう言って女は胸元の石――ブローチをそっと撫でました。頬は薔薇のように赤く色付いて、とろりと熔けてしまいそうな目がブローチを見ます。先ほどの醜悪な顔とはあまりにも違ったものだから、別人がそこにいるかと錯覚してしまいそうなほどでした。
「っ! な、なんてやつだ! か、金目のものにつられるなんて、この、汚らわしい売女め!」
「なっ、なんてことをおっしゃるの!?」
「うるさいうるさい! 僕をだましたくせに!」
「きゃあ! いやっ。だ、誰か!」
青年は顔を真っ赤にし、肩を怒らせ、女につかみかかりました。女は顔を青ざめさせながら必死に抵抗します。
「何をやっているんだ! ユリア、大丈夫かい?」
そこに一人の男がやってきました。その男は女の肩を抱き、青年を睨みつけました。女は男に縋りつくようにひしと抱き着きます。体を震わせて青年から身を隠すように、視界に入れないようにするさまは、あまりにも憐れでした。
「おい、誰かこの者をつまみ出せ!」
青年の脇に二人の男がやってきて、離せとわめく彼に聞く耳も持たずさっさと何処かへと行ってしまいました。
私はそれを眺める事しか出来ませんでした。何が起こっているのか分からなかったのです。あまりにも想像と違った現実に、呆けたまま抱き合ったままの男女を見つめていると……。
「本当に何て奴だ。あんな恰好で、あのように小汚い薔薇を持ってきた挙句に、彼女に手を出すとは」
「ははは、まあ彼奴のようなものにはあの薔薇がお似合いですとも。お嬢様大丈夫ですか?」
「え、えぇ。守ってくださってありがとう。……とても怖かったわ。それにあの薔薇、なんだか変な香りがしたの。鉄のような……」
「なんと。何かおかしなものが紛れ込んでいたかも知れぬ。受け取らなくて正解だったな」
「えぇ、あれならうちで咲いている薔薇の方が何倍もましね」
違いない。誰かが言ったその一言で、先まで騒然としていた場が一気に笑いに包まれました。
それを見た私は、私は――
「きゃあ! わ、私コイツ嫌いなの! 誰か早く追いやって!」
「この、不幸の象徴め! 出ていけ! 出ていかねばこうだぞ!」
「もういや。今日は散々だわっ」
◇◆◇◆
気が付けば、屋敷から遠く離れたゴミ捨て場にいました。動こうとすると体の節々が痛み、しばらく動けないほどでした。
それでも、ここにいたらまた誰かに蹴飛ばされてしまうかもしれないと、何とか体を起き上がらせて歩きます。どこか、安全な場所へ行かないと。
ぐったりとした足取りでとにかく前へ、前へと。もう気力も何も残っていなくて、でも生存本能に従って、ひたすらに歩いていました。そう、すぐ近くに馬車がやってきているとは気づかずに。
「あっ、ぶねぇな! ひいてしまう所だったぜお嬢さん」
いつの間にか、道路を横断していたようで、あとほんの少し遅ければ馬車にひき殺されていたところでした。馬車に乗ってひた髭ずらの男はわざわざ馬車から降りて私を持ち上げ、人通りが比較的少ない道路の脇へと連れていきました。私はぐったりと、なされるがまま。地面に下ろされた後はもう歩く気力も起きずに地面に倒れ伏せたまま。
そんな私を心配そうに男は見ていましたが、暫くしてまた馬車へ戻って走って行きます。私は何と無しにそれを見続けました。私のようなものにこんな事をするなんて、物珍しい人間もいるのものだと、そう思って。
その時。少し先の道に、あの青年が、薔薇を持って歩いているのが見えました。
「(彼だわ。薔薇を持っている! でも顔も真っ赤で、ふらふら歩いていて、とても危なっかしいわ)」
見えた青年は、迷子の子供のように顔を汁でぐしゃぐしゃにさせながら、ふらふらと千鳥足で歩いていました。だけど、あんな目にあったのに、小鳥の薔薇を持っていてくれたことが嬉しくて、最後の気力を振り絞り這うようにしながらも、青年の元へと向かいます。
向かってどうしたらいいのかは分からないけど、でもとにかく彼の元へ行かなくては。
しかし。
「っもう、うんざりだ! こんな、こんな薔薇、元から汚らしい色だと思っていたんだ。こんなもの、こんなもの!」
そう叫ぶと青年は薔薇を持った手を大きく振り上げ、勢いよく地面へ投げつけてしまったのです。意味の分からない叫び声をあげると頭を抱えてしゃがみこんでしまいました。
そこにあの馬車がやってきて、動こうとしない青年に大きな声で叫びます。
「オイ坊主! そこにいられたら曲がれねぇよ! ちょっとどいてくれや!」
「ひぃっ」
その大きな声に慄いて、青年は急いでその場を離れました。とても速い足取りで、こちらにやってきた青年は、私に気付かないまますぐそばを通り過ぎていきます。
「な、なんで、なんで僕だけがこんな目に。不幸だ、不幸すぎる。い、今に見ていろ。ヒック……ぜったいアイツらを見返せられるような、凄い研究者になってやるっ」
青年がいなくなったことで、馬車はようやく動き出し、青年が捨てた薔薇を――
グシャリ。
私が薔薇の所まで来れた時には、元の面影はありませんでした。泥にまみれ、見るに堪えない姿となっていました。あれ程綺麗だった薔薇は今や先までいたゴミ捨て場にあるのがふさわしい有様になってしまいました。もう、誰であってもこれを美しいだなんて言う事はないでしょう。
しかしそれでも、あの脳がくらくらする程の甘い香りは残っていました。
私は導かれるように、その薔薇をぱくりと口に含みます。
「ヴゥッ……!」
思わずはきだしてしまいそうな所を、何とか耐えて、噛みしめます。
薔薇は指すような苦みを放っていました。あれ程美味しそうな香りをしていた薔薇は、噛むたび泥やゴミを食べているようなえぐみを放ちます。
それでも、私は薔薇を食むことを辞めませんでした。人間たちが私のことをどんな目で見て居ようが、蹴り飛ばされようが、その場を離れませんでした。
そして最後のひとかけらを食べ終わった時。
――ピィヨ、ピィヨ
あぁ、名も知らない小鳥。貴女の恋というものはこんな味だったのね。
貴女をあの時食べてしまっていたら、貴女もこんな味がしたのかしら。
「ナ゛ァ、アァォ……」
=完=
とにかく忘れないうちに投稿しなきゃ!また消えるかも!と思って投稿したので、読み返しがまだです。なのでいろいろぐしゃぐしゃだと思います。すみません。明日、冷静になってから編集していきます。
私より先におかしなところを見つけられた方は、お手数ですがそっと教えていただけたら嬉しいです!
そして最後に、長らくお待たせしてしまって、本当にすみませんでした!
『小夜啼鳥と』これにて完結にございます!