お題②「雨が降っていてくれて良かった」
タイトル:Rainy Day
◇
「雨が降っていてくれて良かった」
「そうだね」
幼馴染の祐二の言葉に、綾音は頷いた。
雨はざんざんと降り続いている。その中で、二人は傘も差さずにずぶ濡れになって、灰色の空を見上げていた。
「これで運動会、なくなっちゃうね」
「雨でぜーんぶ、台無しだぁ!」
綾音は無邪気に笑って、ばしゃばしゃと水をはね散らかす。
雨が降ってくれたから、明日の運動会はなくなる。
雨が降ってくれたから――。
首をかしげて祐二が問う。
「明日は教室で自習かな?」
そうじゃない、と綾音は返した。
「やったぁ、これでみんなに馬鹿にされないで済むね!」
運動が苦手な二人は、運動会がいつも大嫌いだった。
その前日に降った雨。二人にとってはラッキー以外のなにものでもない。
ばっしゃばっしゃと水をはね散らかして騒ぐ。運動競技は嫌いだけれど、綾音は動くことが大好きだ。
その隣でくしゅん、と祐二がくしゃみをした。大丈夫、と気遣うと、全然平気、と穏やかな笑みを見せてくれた。
その日はそうやってはしゃぎながら、ずぶ濡れになって帰って母親に怒られた。それでも綾音は上機嫌だった。運動会がなくなる、それがただ嬉しかったのだ。
綾音は雨の日が好きである。雨が降れば体育や運動会やマラソン大会が中止になる。綾音の大嫌いな行事がなくなる。天気予報で雨のマークがついている日は学校が楽しくなる。雨の日のひんやりとした空気も、綾音は好きだった。
「お勉強は得意だもん」
お風呂に入って着替えて机につく。取り出したのは学校の宿題。運動は苦手でも、だからこそ勉強を頑張っていい成績を取るのだ。
「えへ、明日が楽しみだねぇ」
上機嫌で呟いて、すらすらと問題を解いていく。嫌いな行事が中止になるとわかっているためか、その動きは軽やかだ。
その日はそのままご飯を食べて、眠りについた。夢の中で、いつかの雨の日を見た。
◇
次の日のことだった。いつも通りに学校へ行くと、祐二がいなかった。
風邪を引いたのだ、と親から連絡があったらしい。昨日、はしゃぎ過ぎたのが原因だろうか。
「残念。せっかく雨で運動会、中止になったのに」
綾音は残念がったが、来ないものは仕方がない。
その日は座学で授業を終え、そのまま帰った。
次の日も、祐二は来なかった。その次の日も、そのまた次の日も。
綾音は心配になったが、祐二の家はよそ者を嫌う家で、迂闊にやってくることは出来ない。どうせすぐに復活して、あの笑顔を見せてくれるはずだ。綾音はそう思うことにした。
それから一週間後。その日も雨が降っていた。祐二と二人ではしゃいだあの日みたいに、ざんざかざんざか、ひどい雨が。そしてその日も祐二は、
「……嘘」
教室に着いて、綾音は衝撃のあまり教室の床にへたり込んだ。
教室の、綾音の二つ前の祐二の机の上に置かれていたのは、花瓶。
活けられていたのは、白い花。
クラスメートの机の上に、花瓶。その意味は、もう小説や漫画で読んで、嫌というほど知っている。
「嘘だ、よ……」
言葉が、出なかった。
「大橋祐二くんは、亡くなりました」
先生から言われた言葉が、虚ろに胸の底を叩いていく。
「風邪が悪化して肺炎になり、そのまま回復しなかったそうです」
「嘘だ!」
叫んで、思わず教室から飛び出した。
荷物も持たず、雨に濡れるのにも構わないで、ただひたすらに走りだす。
辿りついたのは、いつか祐二と一緒に、運動会がなくなるねと笑い合っていた場所。
―― 一週間前。
一週間前に、祐二はここで綾音と二人、雨の中で遊んでいたはずなのに。
ざんざか、ざんざか、雨が降る。頬を伝う熱い雫も、こんな天気ならば雨の中に紛れてしまうだろう。
「雨が降っていてくれて、良かった」
あの日、祐二が言っていた言葉を口にした。
「そうよ、雨が降っていれば。これが涙だってわからなくなるんだもの」
雨が降っていてくれて、良かった。
全く意味の変わってしまったその言葉を口にして、綾音は瞳から雨のしずくを零した。
【完】