お題④「寂しい夏」
タイトル「その夏、僕は。」
「小さな町に住む青年の不思議な夏を写した二枚の寂しい銀幕です。」
ポスターに描かれたのは黒髪の少女と若い男。そして、そこにはこんな文字が印刷されております。とても寂しくて、どうしようもない夏の夕焼けのシーンからその映画は始まるのです。
───その夏、僕は。
夕焼けに沈む外の街から、微かに太鼓の音と人のざわめきが響いていた。六畳の部屋で全開にされた窓から吹き込む風が、カーテンを揺らしている。テレビは付けっぱなしになっていて、部屋を淡く照らしていた。その小さなテレビから、ニュースキャスターの若い女性の声が流れてくる。煩く外で鳴くひぐらしの声で途切れ途切れにしか聞こえないが、そもそもテレビの持ち主は居眠りをしているらしい。
「今年の芥川賞───いたのは、────先生の───です。デビュー作は、───の『やまなし』───作品で、タイトルは『その夏、僕は。』────」
寝返りを打った男が、テレビのリモコンの上にのしかかる。テレビがぶつりと切れて、部屋の明るさががくりと下がる。その時吹き込んだ強烈な風が、机の上に投げ出されていた原稿用紙の束を部屋に舞わせた。
僕がクラムボンと出会ったのは、酷く蒸し暑い夏の夜だった。
その日はちょうど夏祭りの日で、なにかネタがないかと売れない物書きの僕は外に出た。僕がそれを志したのは、かつて宮沢賢治の作品の美しさに触れたからだ。特に「やまなし」は素晴らしい。文章から伝わってくる、水底の美しさ。光の瞬く様すらも、この目で見ているかのようだ。同じ岩手に住んでいるからこそ、その憧憬の念は益々強まった。僕は鈴木敏子氏と同じくクラムボンは泡だと思っている。
夏祭りに出かけた僕は、人の多さと暑さに参ってしまい、ふらふらと近くの川辺へと歩いていっていた。どこか遠くで太鼓の音がする。淡い提灯の光が川に反射して揺らいでいた。河川敷に腰を下ろして、僕はぼけーっと揺れる水面を眺めていた。周りには誰かといる者たち。一人だ、僕は。
祭りというのは不思議だ。何処か別の世界がこの世界に重なるように、人は騒いで歌う。もし今僕が居るここが、他の世界とつながっていればな、と思う。打ち上がる花火が、川に映り込んでいた。この世と何処かの境界が薄くなって、此処は本当に異世界であるような。まるでそう、やまなしに登場する幻燈の世界のような。そんな気がする。
その時、不意に水面が跳ねたような気がした。キラキラと舞う水滴を確かに僕は見た。僕は底知れない何かを感じて、吸い寄せられるように川岸まで降りていく。
そこにいたのは、美しい黒髪の少女だった。
彼女は何も喋らなかった。ぺたんと地面に座り込んでいる。川から現れたのか、それともここで倒れていたのか。だけど、彼女は救いを求めるような目で僕のことを見ていた気がした。先程のふらふらした思考も相まって、僕は彼女へ手を伸ばして問いかけた。
「大丈夫?」
そう言われた彼女は、少し戸惑っているように思えた。僕の手に彼女の手がふれて、ゆっくりと全身が顕になる。薄い色合いの浴衣のような衣と、長い髪。僕などがこの淡くて儚い右手を握りしめたら、泡と融けてしまいそうだ。
「…………わた、し……」
髪を揺らして、少女は懸命に喋ろうとしていた。
「無理しなくていいから、えっと……名前、は?」
何かカッコつけたことを言おうとしても、言葉が出てこない。それにしても端正な顔立ちの少女だった。長い睫毛と、うっすらと煌めく黒の瞳。周りが水に濡れている。ならば本当に川から現れたのだろうか。そこまで来るといよいよ物書きの妄想だ。
「…………………………クラ…………」
口をぱくぱくと動かして、必死に言葉を紡ごうとしている。だけどとても無理をしているように見えて、僕は慌てて少女に言った。
「クラ? えーっと、くらら、とかかな……最近の子はそう言う名前の子も多いって聞くし……」
自分で言いながらも黒髪にはあまり合わないかな、と思ったけれど。そう言いながら、僕は笑った。───彼女が何であるかも知らずに。
────あれから、一週間が経つ。何も彼女が出自について話さないので、僕は彼女を家に連れ帰ることにした。祭りでたくさんの人が出ていたのが幸いしたのか、僕らはだれにも咎められることなくアパートに着いた。
くららは暑さに弱いらしく、僕のエアコンなんてついていない部屋ではすぐに体調を悪くしていた。だから、僕がバイトに出ている間彼女に図書館に待っていて貰う。二人、というのは楽しかった。
くららはよく笑う。いつもきらきらした笑みを見せている。僕のつまらない現実という日々は、どうやら彼女のおかげで妄想にしろ何にしろ華やかなものになっていった。
────一年が経った。再び、夏祭りがやってくる。もう僕らは良い友達になっていて、彼女も大分喋れるようになって来ていた。だけど、彼女は何も明かさない。時折悲しげな顔をして、外を見ている。彼女のそんな行動を見て、僕はもしかしてかぐや姫なんじゃなかろうかと思っていた。だが、それにしては早い。まだ一ヶ月ほどある筈だ。
夏祭りに僕らは繰り出して、案の定人酔いした。くららも目を回していて、僕は彼女を連れてあの川の前に立った。長い黒髪を揺らして、去年と同じ着物で。
彼女は、泣きながら笑った。
「ごめんなさい。ありがとう。」
どこかで打ち上がる、去年と同じ花火が。この世界は幻燈であるような。そんな感覚が、蘇る。
「待って……待って、くら……!」
その時、僕は気付いた。
彼女こそが、クラムボンなのだと。
泡のように儚くて淡くて、そして幻燈。彼女に、宮沢賢治が、クラムボンという名前を与えたのだ。だから、彼女は、僕にクラと言ったのだ。彼もまた、これを見た。そして、あの『やまなし』は生まれたと仮定するならば。僕に出来ることは。
「クラムボン!」
叫ぶ。消えてしまうのだ、彼女は。名前を呼んで、引き止めたい。寂しい、僕はそうなったら絶対に寂しい。どうしようもない。そんなことを言いたいはずなのに、僕は彼女の名を叫ぶことしか出来ない。
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
かぷかぷ。その形容が相応しい笑みを見せて、彼女は川へ消えた。泡が弾けて、一瞬僕の視界が塞がる。そして跡形もなく、何も無かったように。
「わらった。」
ぱっと空に花火が咲き、にわかに僕しかいない河川敷を照らしだした。
それから、六畳のせまっ苦しいアパートの一室に駆け戻って、僕は原稿用紙を取りだした。彼女は確かにここにいた。机の上に叩きつけ、ペンを探し出す。最初の頃に買って、それ以来パソコンで執筆のような事をしていたので使わなかったものだ。うっすらと被った埃を払いのけ、僕はペンを握り、最初の一行を書き始める。僕による、僕の為の、僕の物語。僕が、彼女はここにいたことを証明するための物語。
僕がクラムボンと出会ったのは、酷く蒸し暑い夏の夜だった。
バサバサと舞い落ちた原稿用紙は、男の上に積もった。さほど枚数はないが、埋め尽くす程に入れられた赤のチェックが、彼のこの作品に対する情熱を物語っていた。物書きと言うのは、こういう物なのだろう。どうしようもなく囚われて、ただ何かのために狂ったように文字を紡ぐ。
いつの間にか蝉は鳴き止み、町は夜へ沈み込み。男の寝息だけが静かに響いていた。
「その男についての銀幕はこれでおしまいであります。」
映画のエンドロールの最後に映された文字は、観客の人々の印象にとても良く残りました。
─────ここから後書きです────────────
めっちゃ書きたいものをかけました。分かりにくくなってたらすいません。あと私の書くSSお題要素薄いのは定期だと思うのです。
長め。