これにてコンプリート…。
お題⑥
タイトル「碧と傷痕」
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庭先の風鈴が涼し気に揺れている。
六畳ほどの和室で、埃をかぶった扇風機に当たりながら私はイヤホンを片耳に突っ込んだ。
耳の奥から聞こえる微かなノイズ音。
ひいきにしているラジオ局の番組はもうとっくに終わっていて、騒々しい雑音だけが鳴り響いている。
それはまるで自分の心の写し絵のようで、私は軽く唇を噛んだ。
「彩夏-。今日、雛ちゃん来るんでしょー?」
スリッパをペタペタいわせながら、母親が部屋を覗き込んだ。
先ほど玄関の掃除をしていたので、まだエプロンをつけたままだ。
さっきコップに注いだばかりのソーダの泡がゆっくり立っていくのをぼんやり眺めながら、私は不機嫌に返した。
「もう、来ないよ」
「……朝、来るって言ってたじゃない。ケンカでもしたの?」
「………ケンカじゃない」
そう、あれはケンカではない。ケンカよりももっと重くて辛いもの。
今日の天気、青色の澄み切った青空の日に似合わないような、暗い複雑な出来事だ。
それが何なのか、その答えに今だに迷っている。
雛と私の関係は、親友同士だった。だったと言うことは、その関係がもう事実の上に成り立っていないことを表す。
つまり彼女はもう親友ではなくなったのだ。
・・・・・・・
きっかけは一本のメールだった。
六時間目の数学の時間、机の下でこっそりスマホをいじっていたのが運の尽きだった。
二階では合唱の歌声が、そして今いる教室では教師の説明が絶えず聞こえ、危うく眠りに落ちそうになっていたとき、そのメールは届いた。
ピロンという着信音がなり、反射的に私は顔を上げた。
幸い教師は背中を向けていたので、こっちには気づかなかった。
トーク画面を見ると、雛から一件のメッセージがあった。
『彩夏って私のこと思っているの?』
それは余りに唐突で、かつ深い質問だった。
教室を見回す。一番右の列の最後方の席に座る雛が一瞬チラリとこっちを振りかえった。
その顔にはいつもの愛嬌はなく、私を試しているような険しい目つきをしていた。
『優しいって思ってるよ』
『どうして?』
「どうしてって言われても……」
答えに困って、すがるように雛の表情を伺うと、彼女はプイっと顔を背ける。
なぜそこまで不機嫌なのか、私が知るすべはどこにもなく、釈然としないままメッセージの会話は続く。
『答えなんているの?(笑)』
『その(笑)ってどういう意味でつけてるの? 私は嫌い』
『ならやめるよ』
私も雛のことはよく分からない。
その何の感情も込められないメッセージの裏で、何を思っているのか、どういう気持ちでいるのか私も分からない。
『彩夏は、私の事優しいって言ってくれたじゃん』
『うん』
『じゃあ私も思ってたこと言っていい?』
『うん』
『彩夏のことが嫌い』
何の感情も込められないメッセージとはよく言ったものだ。
そう、メッセージに感情はない、それは事実。
しかし、たった一文、10文字にも行かない文章が自分の胸をぐさりと突いた気がした。
『彩夏のどこが嫌いかっていうとね』
いつの間にか、メッセージを打つ手が止まっていた。
初夏の日差しが当たって、充分暖かいはずの教室の温度が、一気に下がったように感じた。
『彩夏の笑顔が怖いの。あと性格ね。自分の事鼻にかけてるでしょ』
『かけてないよ! 何でそんなこと言うの? そう思ってたらゴメン』
『そんなことじゃないの。でも嫌いなの』
『わけがわからないよ。どうしていきなりそんなこと言ってくるの』
『一人になりたいの』
『じゃあなれば』
『でも一人になりたくないの』
『どっちなの』
『私は彩夏のことが嫌いだけど、友達が彩夏しかいないの』
訳が分からなかった。
私の事が嫌いなら、嫌いと思った瞬間に友達という定義は崩れるのではないだろうか。私の事が嫌いなら、友達なんてやめてくれればいいのに。
でもそう尋ねる勇気は、何分待っても、湧いては来なかった。
『だからさ、いつも家に行かしてもらったけど、もうやめるね』
『…………なんで?』
『私と彩夏は、多分感じ方が百八十度違うんだ。私は無理やり人の話に乗りたくないの』
『じゃあ、じゃあもう、連絡しなければいいじゃん!!』
・・・・・・・
いつから私たちの関係が崩れたのか、今となってはもうわからない。
雛の、誰かを嫌いになってでもその人と一緒にいたいという気持ちが、私には理解できない。
そう言う所なのだろうか、そういうところで私たちは違う道を歩くようになってしまったのだろうか。
どちらにせよ、もう雛は来ないし、彼女と私が以前の関係に戻ることもないのだ。
そしてなんで、私はこんなに冷静なんだろうか。
なんでもっと取り乱さないのだろうか。
私は、雛のことを、本当に親友だと思ってたのだろうか…………。
立てた膝に顔をうずめる。泣きたいとは思う。叫びたいとも思う。いっそ寝てしまおうか。
――そう思っても行動に移さなかったのは、きっと心のどこかで、また希望を求めているからだ。
【END】