Re: 水が枯れた暁に……5【短編梅雨パーティ】 ( No.16 )
日時: 2022/06/05 22:08
名前: 唯柚◆lUykKY/81I (ID: W.7JueQs)

*レッツ梅雨パーティ♡

【梅雨】

 大阪へ行くのを決めたのは、九日の夜だった。
 もっと先に入れていた会社説明会の予約を十六日に変更し、連絡を取っている女の一人と会う約束をし、親には友人と二社の説明会に出てくると嘘を吐いて交通費を貰った。
 行ってしまえばどうにかなる、なんなら家のドアを開いてしまえばどうにでもなると思っていたので、直前まで宿泊先すら決めていなかった。説明会も女もただのきっかけで、目的すら持たない衝動性の発露だったのだろう。

 前日の深夜に荷物をまとめ、券売機で適当に切符を買い、駅で最初に来た新幹線に乗って新大阪駅に着いた。
 関西では丁度梅雨入りしたばかりだったようで、広く明るい駅なのにどこも微かに黴臭い。脂と黴と湿気が混じり合って、私の肌に纏わりつく。
 口実のためのスーツが入ったキャリーバッグが引きずる度に、大きな音を立てた。待ち合わせ場所に向かいながら、来なければ良かったと薄っすら思い始めていた。

 まずは一人目。待ち合わせしていた女と喫茶店で話していると、紙袋を渡された。
 ハンカチやハンドクリームなどいくつか雑貨が入っている中に、腕時計があった。有名な店の製品で、しっかりと保証書も付いている。以前腕時計がいつも壊れてしまうことを話したら覚えていたのだろう。
 決して安くはない買い物なのに、よく他人のためにここまでの物欲を発揮できるものだと思う。満足そうに私の手を撫でるこの人は、きっとこうして間接的に自分を慰めることしかできないのだろう。それを自覚できないのが可愛らしい。

「いつまでいるの?」
「明後日までかな。説明会出てから帰るから」
「それじゃあ仕事終わったら会いたいな」

 テーブルの下、私の脚を女の指先が撫でる。甘い囁き声。耳朶をなぞる指。人肌に飢えてるのか、そうして拒絶されないことを確認しているのか。どちらにせよ、そうまで他者を欲しないと生きていけないなんて。
 惨めだな。

 二日目は少し予定がずれて、一日空いてしまった。
 ふと思い立って昔付き合っていた相手にメッセージを送った。

「今大阪いるんだけど、暇?」

 今年から大阪に引っ越していたそいつは、すぐに「遊ぶ?」と返してきた。
 普段どうでも良いことを送れば私を揶揄するような言葉しか使わない癖に、こういう律義さに変わり切れていない部分が見えて愉快だと思う。

 カラオケで互いの好きな曲を歌い、相手が今同居している人間の愚痴を聞き、

「メンヘラちょろすぎる」
「頭が軽くて嫌い」

 と宣う彼女に「それは数年前の自分に対して?」と刺してみたり。
 飼い慣らされ、搾取され、捨てられるのが誂えたように似合っていた過去と比べて、私に似てきた。それでも合わないパンプスを履いているような、足元が覚束ないところが見えていたけど、そもそも私のような生き方が板についている方が問題だろう。人間らしく、人間から離れられないまま人外になりたがっているのかもしれない。

 カラオケを出て付居酒屋で付き合っていた頃の話をしたり、近況を話したりと中身のない雑談を肴に酒を飲んだ。腹も膨れたけど互いに帰るのも億劫で、終電までの時間潰しに近くの安いラブホテルに入った。
 アミューズメント施設も何もかも、娯楽の全て日付が変わる前に取り上げられてしまう。残ったものがラブホテルというのは、理性も文化も枯れ果てていて好感が持てる。
 一番安い部屋を選び、風呂やアニメティを見てはしゃぎ、私はベッドで寝転んでスマホをいじっていた。ほろ酔いで曖昧な眠気があった。
 ふと、椅子に座っていた彼女がベッドに乗り上げてきた。私の手からスマホを取り上げ、

「危ないから外そうねー」

 と眼鏡と共にヘッドボードに置き、そうして拳を振り上げた。
 肩に一発。腹を二発くらい殴られたところで、胴体はダメージが大きいことに気付き腕で庇うと

「何庇ってるんだよ」

 と言われまた殴られた。中途半端に横寝のままなせいで、上になった右半身ばかりに衝撃が来る。痛みはあまり無かった。それよりも無理に冷たくしたような声色と、硬くなった顔が面白くてずっと笑っていた。
 たまに首を絞められ、苦しいなと思い爪を立てれば手が離される。甘えた声で

「いたーい」

 と言えば

「可哀想」

 と返ってきた。可哀想に思っていたいのだろう。
 自分の優位性を信じきれないから、こうして証明したくなる。少し抵抗しただけで怯む程度の中途半端な暴力で。
 どれだけ過去の自分を否定しても、加害者になろうとしても、性根が私に捨てられた時から変わっていない。可哀想だ。もう少し賢い子だと思っていた。

 終電の時間が近くなり、二人でホテルを出て駅に向かう。別れ際に「またね」と言ったら信じられないものを見るように目を見開いていた。そういうところが弱いままで、やはり可愛い人だと思った。

 チェックアウト前にシャワーを浴び、腕に点々と残った痣をシャツで覆い、説明会が終わると十四日に会った女が午後空いたからまた会おうと連絡が来ていた。
 カラオケの個室、隣同士密着して会話の合間に歌を入れる。抱き寄せられて、自分より高い相手の体温にクーラーが効き始めていたことを有難く思った。

「これね、昨日会った元カノに殴られて痣できちゃったの」

 と飽きもせず腕に触れる女に囁くと、

「可哀想に」

 と頭を撫でられる。それに返すべき言葉が分からなかったので首筋に顔を埋めて誤魔化すと、甘ったるい臭いがした。

「今日は甘えたやん。昨日の反動?」

 と言われ、それもよく分からなかったから、んー、と曖昧な声を出してキスをする。そうすれば会話が無くなって、早くこうしていれば良かったことに気付いた。

 終電ギリギリで飛び乗った帰りの新幹線で、次は泊まりがけで遊ぼうという女のメッセージが届いた。『次』の時に私は今日ほどの楽しさを見出せるのだろうか。そもそもその時まで、この関係は続いているのだろうか。もう名前なんて付いていないのに。
 梅雨の時期は頭がおかしくなる。脳の報酬系が乾涸びる。その飢えが楽しさを演出していたのなら、次はまた梅雨の間にあると良い。