梅雨パーティ参加
【梅雨が終わるまで】
大好きな人が死ぬのなら、よく晴れた日よりも雨の日にして欲しい。
突き抜ける様な蒼穹は意味もなく虚しさを広げるけれど、水滴がアスファルトを叩く音は私の思考や感情を胡乱にして溶かしてくれるから。
君を思い出す度に空の遠さを感じるより、しとど降り続ける冷たさで私の想いを掻き消してしまいたい。
ぬかるんだ道とカタツムリは嫌いだ。折り畳み傘は仕舞う時が億劫だ。
水溜りを勢いよく跳ね上げる車はカーブで滑って横転してしまえば良い。
それでも梅雨は好きだ。白くて不健康そうな、レントゲンフィルムの投影機みたいな空が、私の代わりに涙を流し続ける季節だから。
この通り枯れた情緒では簡単に涙も出て来ないけれど、誰かが代わりに泣いていれば、私にとってちょっとした慰め程度にはなる。
折り畳み傘を何度か開いたり閉じたりと、布がはためく音を鳴らした。まだ水滴を拭いきれていない生地を丸めて、ステンレスの柄を縮める。
薄暗い鉄筋コンクリートの階段を登ってゆく。階を上がるごとに呼吸も浅くなる。ふと隅に目をやれば蜘蛛の巣が張られていた。私は君が住んでいた、この6階建て築30年のマンションも嫌いだ。
君の事も嫌いになれたなら、きっと私は晴れた日の空も好きになれるだろう。
私は屋上へと繋がる簡素な扉を開いたが、再び傘を取り出す気になれなかった。
それは余計な事だと思ったからだ。
どうせ私は今から、あちらこちらで広がる水溜りと同じになる。
屋上の端を目指して歩く。ヒヤリとした金属製の黒い柵に手を掛け、身を乗り出す。
柵を乗り越えてしまえば、後はもう少しだけ前へ踏み出せば良い。
そうすれば君と同じ場所に私も行ける。
遠くて近い真下の地面を見下ろして、私はじっと留まっている。
降り注いで全身を伝う雨が、私という人間の輪郭を浮き彫りにしている気もした。
「今から居なくなるのに、皮肉だなあ」
不思議だ。
自分が消えて無くなるという事実を口にした瞬間から、私の足取りは一気に重くなる。
あと一歩を何も考えずに踏み出すつもりが、いきなり内側から湧き出してきた息苦しさで邪魔される。
これから飛び降りようとしていたアスファルトの地面を見つめていると、余計に身動きが取れない。
雨が降り続く音さえ、前髪から顔を伝い滴る雫さえも段々と鬱陶しくなる。
気分を変えて、私が好きな色の空を見上げながら天国へ行こう。
首を振り上げた。前方やや上方を眺めた。出来るだけ怖くないまま終わりたいから。
遠くまで三角屋根と電線と四角い屋上が並ぶ雑多な街の上に、一面の泣き虫な白い雲が広がっている。
それは君が逝った五月晴れの日と、似ても似つかない空だった。
ああ、違うや。
この雨空は、あの大嫌いな青空とは全然違うから、きっとここから落ちても君と同じ所には行けない。
恐怖に竦んだ私はそんな言い訳を思い付いてしまったので、ついに一歩も先へ踏み出せなくなる。
すごすごと踵を返して、柵をよじ登って屋上の内側へ逃げ帰る。
屋上へ入ってきた扉のドアノブへ手を掛ける時に、ずぶ濡れの私は一度だけ泣き続ける空へと振り返った。
感情も無い癖に涙を流し続けていられる空が、少しだけ羨ましくて妬ましい。
だから私は小さく吐き捨てて、屋上の扉を閉めた。
「まだ……あとちょっとだけ。梅雨が終わるまで待とうかな」
大好きな人が死ぬのなら、よく晴れた日よりも雨の日にして欲しかったけれど。
私が死ぬのなら、君と同じ晴れの日が良いから。