雑談掲示板
- 真世界創世計画
- 日時: 2017/10/14 19:01
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: DCAqlO/Y)
国会中継では大衆の面前であり 国の方針を定める大事な場面であるにも関わらず呑気に居眠りをしている国会議員
不倫やらの下らない事でまるで世界の終わりのように過剰なまでに騒ぐマスコミ
自国内で様々な問題を引き起こしているにも関わらず、何の対処もされない在日
核ミサイルが頭上を飛んで平和や安全を脅かしているにも関わらず 具体的な対抗策をせずにいる日本国家
憲法改正や自衛隊強化を戦争に直結させたがる在日に洗脳された無知な民衆
若い者が上に行こうとするのを頑なに阻止し、国の財政を食い潰し続ける老害
こんな国に
こんな社会に
存在し続ける意味や理由などありますか?
宜しければ私に皆さんの意見をお聞かせ下さい。
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Re: 真世界創世計画 ( No.1 )
- 日時: 2017/10/21 09:20
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: 3TTkUSSY)
人は自らの信念や理想すら持てず
ただ呼吸し 食事と睡眠を繰り返す
自らが社会の歯車の一つに過ぎない事に満足し
新たなる世界を望めぬよう
学校や社会からの洗脳を受け続けている
答えを出せぬと言う事はそれを肯定していると言うことに他ならない
此処に私が求める真の日本人は存在しないようだ……
Re: 真世界創世計画 ( No.2 )
- 日時: 2017/10/21 09:22
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: 3TTkUSSY)
虚しいね…
哀れだね…
何も残すことが出来ぬまま
生まれた意味すら得られずに
草や石と同じように
無意味に産まれ
無意味に生き
無意味に老い
無意味に死んでゆく……
自らで自らを大衆に変えようとする
私にはとても理解できない生き方だ…
Re: 真世界創世計画 ( No.3 )
- 日時: 2017/10/21 09:35
- 名前: アンクルデス◆yFPR22lKqk (ID: IxAjXh.c)
おはようございます〜( ´ ▽ ` )
まぁ確かにニュースの「不倫(笑)ネタ」に関しては、心底どうでもいいと思ってるのは貴方だけじゃないですよw
自分の職場ではセキュリティスタッフやエンジニア、運営、清掃員などの色んな業種の人が、休憩室で皆んなで一緒に昼食を食べますが、、
大体 テレビの不倫ネタにあーだこーだ言ってるのは40歳前後のオッサンばかりですねww(^。^)
Re: 真世界創世計画 ( No.4 )
- 日時: 2017/10/21 09:50
- 名前: 匿名 (ID: uom9fvFk)
虚しいね…
哀れだね…
(ログがすぐに流れて)何も残すことが出来ぬと知らず
生まれた意味を勝手に決めつけて
嫌う真の日本人ではない者と同じ様に
具体案も出さず
無意味に書き込み
世の中を変える為に勉学に集中せず
無意味に時間を浪費する
ただただ自分の理想を語るだけ
私にはとても伝わらない書き方だ…
Re: 真世界創世計画 ( No.5 )
- 日時: 2017/10/22 06:27
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: UJKLRzSc)
世界を変革させるための核となる者を私は探し続けましょう。
例え 人々から批判され 受け入れられずとも
私の正義を世界に示した時
人々は選別を受けるのです。
我が思考は凡人には理解のしようが無い
しかし それはつまり
世界を変えられる者を
現段階で既に振り分けているということ
大衆と異なる思想を持つ私こそが
世界を変える資格を持つに相応しい
やはり私は間違ってなどいなかったと言うわけですね。
Re: 真世界創世計画 ( No.6 )
- 日時: 2017/10/22 06:30
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: UJKLRzSc)
私の意思を理解し
私の思想に賛同し
私と共に立ち上がり
私と共に世界を変える
大衆とも凡人とも異なる
選ばれた者達
私はその者達のためだけに
新たなる世界を築き上げます。
敢えて宣告しましょう。
此処にいる大半は私の敵だ。
私はほんの一握りしか存在しない
選ばれし者に対してのみ
呼び掛け続けましょう
凡人や大衆を従わせる言葉や権威の前に
私と共に歩める者を見つけ出す事こそが
私の理想を 真の正義を世界に示すための道なのだから…
Re: 真世界創世計画 又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日 ( No.7 )
- 日時: 2017/10/22 17:39
- 名前: あ
バカアホドジまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日 ( No.8 )
- 日時: 2017/10/22 17:44
- 名前: あ
バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.9 )
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.10 )
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.11 )
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.12 )
- 日時: 2017/10/22 18:00
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.13 )
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.14 )
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.15 )
- 日時: 2017/10/22 18:03
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.16 )
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.17 )
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.18 )
- 日時: 2017/10/22 18:05
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.19 )
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バカアホどじまぬけ
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.20 )
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バカアホどじ間抜け
真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[3]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。よく誤解されているが、東京都知事選に出馬したことは一度もない[4]。引退報道を否定[編集]2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[5]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[6]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[7]。世界経済共同体党[編集]又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[8]。 現在でも、毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われており、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで来るという。活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[9]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。話題になった文面[編集]『○○○○(対立候補者名)は腹を切って死ぬべきである』『又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものである』『熟知すべし』『金が第一・金が全てが 全ての元凶』『罪・犯罪の元凶・原因』なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としている。2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[10]。政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。主義・思想[編集]現在の日本経済を「利益至上主義経済すなわち、資本主義経済としての日本経済は世界ではじめて終わっている」として、「公平・平等の原理・原則」による「共同の所有・生産・消費制」経済による世界経済共同体日本が日本経済のとるべき道だとしている。尚この世界経済共同体日本について又吉は2002年の沖縄県知事選挙の政見放送・2004年の参議院選の政見放送では農林漁業中心であるとしていたが、近年は「製造業の大企業に業種別連盟を、中小企業に業種別組合をつくり、その上に大企業連盟、中小企業組合をつくり、その総本部は経済産業省に置くものとする。官民一体、国が一つになる経済」であるとしていて政策が異なっている。竹島、尖閣諸島、千島列島については日本固有・本来の領土であるとしている。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については参加に反対している。臓器移植については断固反対の立場をとっているほか、iPS細胞の作製・利用についても「遺伝子組み換え・操作は、生態系を破壊し、また、人間を人間でなくするものであり、 更には、その技術の危険性も考えなければいけない。従って、遺伝子組み換え・操作は一切してはならない。 遺伝子に関しては、それが基準である」として反対しているが、実際はiPS細胞は特定の部位に向けた誘導培養がベースの為、遺伝子組み換えはもちろん、「誘導」操作以外について又吉の指摘はほぼ的を外している。さらにその発明者であり、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥に対し、「直ちにiPS細胞の作製・利用をやめなければいけない。 そうしないならば唯一神又吉イエスが山中伸弥らを地獄の火の中に投げ込むものである」としている。選択的夫婦別姓制度導入や同性婚に反対している[11]。恩師・師弟[編集]真喜屋力-1966年沖縄県生まれ。 琉球大学工学部電気工学科卒業。映画監督・沖縄映画館「桜坂劇場」取締役プログラム・ディレクター。2011年5月からはフリー。学習塾経営時代の教え子[12]。氏名[編集]本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[13]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[13]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[13]となっていた。語録[編集]2010年7月10日、東京都の高田馬場駅にて「政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない。また本当の責任を追及するためには、それだけの政治内容がなければいけない」(2002年沖縄県知事選挙での政見放送で)「唯一神又吉イエスが本参議院選で、参議院議員として国会に出て全衆参国会議員により、首相指名をうけ、内閣を成立させる。したがって本参議院選後小泉内閣は総辞職して首相小泉純一郎は首相の座を唯一神又吉イエスに明け渡すべきである。(中略)小泉純一郎は他人を殺し、全人類を殺すものに他ならない。他人を殺すなら自分が死ぬべきが当然である。よって小泉純一郎は腹を切って死ぬべきである。」(2004年参議院選挙の政見放送で)「よさの、話している責任を取って死ね。責任はないのか!腹切って死ね。支持すんな。何がありがとうございますだ。ふざけるなよ。真面目もない、責任もない、何がよさのだ。与太郎じゃねえのか。」(2005年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった与謝野馨に対して)「日本が国家危機にある」(2007年参議院選挙での政見放送で)「尾辻かな子、恥、知らんのか。恥、ないのか。」(2007年参議院選挙遊説中、民主党比例区で立候補していた尾辻かな子の選挙カーに向かって)「海江田万里。海江田万里。責任感はないのか。責任感はないのか。(中略)何で笑っているんだ!!恥知らんのか!!海江田万里、あんたのために毎日5万人以上が死んでいる。日本人であるんだろうお前。腹を切って死ね。いいか!!地獄の火の中だ。海江田万里。無責任じゃ!!そこがぬけているんだろう。」(2009年衆議院選挙の街頭演説中に近くを通りかかった海江田万里に対して)「小倉淳、小倉淳、聞いているか。(中略)論理なきバカ、手を引っ込めろ。小倉淳、腹切って死ね。恥知らんのか、バカ。ツラの皮はげよ、小倉淳。論理なき恥なきバカ、日本から出ていけ。日本はこの唯一神又吉イエスのものだ。無責任バカ・小倉淳、日本から出ていけ。」(2013年参議院選挙で街頭演説中、近くを通りかかった小倉淳に対して)「責任をとって、さっさと腹を切って死ね。日本人ではないのか。(中略)世界が守れるのか。(中略)マイクを捨てろ。」(2013年参議院選挙で、街頭演説をしていた山本太郎に対して。山本も「又吉来たー!」「敵を見間違えるな、又吉! 戦うべき相手はここにはいないぞ、又吉!」「お前は守れるのか、私は守りたいんだ! 又吉はどうだ、守る気はあるのか!」などと応戦した)「不倫問題。考えられないことだ、病気ではないのか。唯一神又吉イエスが言う「金が第一・金が全て」「罪・犯罪の元凶・原因」の利益至上主義経済と「自己中心・好き勝手・やりたい放題をとめられない」民主主義の日本の社会退廃がそこまで来ていることを知るべきである。それは日本の破綻・破滅・滅亡が目の前まで来ていることを意味する」と浮気・不倫を述べており、社会の悪であるとする。「道徳とは人生の基本・土台である。道徳を無視・ないがしろにすると、心・精神の防波堤がなくなり、人生が荒廃する。そこは罪・犯罪、人生の破綻・破滅・滅亡の誘惑の場となる。 」道徳が教育の基本・土台であると述べている。なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。著書[編集]唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377映画[編集]『唯一神又吉イエス~東京に 降り立ちて』[14]過去の選挙結果[編集]投票日 選挙内容 得票数 得票率 順位 候補者数 惜敗率 出典/詳細1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票 1.9% 3位 3名 2.77% [15]1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票 0.7% 5位 5名 1.64% 詳細1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票 0.4% 3位 3名 0.70% 詳細2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票 9.0% 2位 2名 9.94% [16]2002年2月3日 名護市長選挙 80票 0.3% 3位 3名 0.39% [17]2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票 0.8% 4位 4名 1.20% [18]2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 0.3% 5位 5名 0.66% 詳細2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票 0.2% 11位 11名 1.01% 詳細2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 0.6% 4位 4名 1.03% 詳細2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票 0.1% 19位 20名 0.77% 詳細2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票 0.2% 8位 9名 0.50% 詳細2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票 0.1% 20位 24名 0.74% 詳細2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票 0.4% 8位 9名 1.23% 詳細2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票 0.1% 19位 20名 0.92% 詳細2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票 0.6% 6位 6名 1.32% 詳細2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 0.1% 21位 31名 1.20% 詳細出典[編集][ヘルプ]^ 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト著『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年。ISBN 4890951377^ a b c d 【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (2/5ページ)^ “東京 選挙区 立候補者”. 読売新聞. (2012年12月4日) 2012年12月4日閲覧。^ “唯一神”又吉イエス氏は都知事選に出馬するのか?2014年1月14日閲覧。^ 『サンケイスポーツ』13年7月12日 宣教師風の又吉光雄氏「唯一神の私」2014年3月23日閲覧。^ あの2chで有名な「神」に出会う!又吉イエスさんとコラボ生放送2014年3月23日閲覧。^ 又吉イエス氏「最後の選挙戦」って本当? - 東京スポーツ2014年6月3日閲覧。^ “【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る “唯一神”のすべてが明らかに (4/5ページ)”. MSN産経ニュース. (2009年7月25日). オリジナルの2010年10月23日時点によるアーカイブ。^ 又吉代表は賃貸借契約を拒否しているので地代ではなく補償金という名目になる。唯一神又吉イエスの収入・生活費・政治活動費報告^ 2009年衆議院選挙東京1区ポスター^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。^ 小禄学習塾の「僕とイエスと掘っ立て小屋」を記述。『唯一神又吉イエス~東京に降り立ちて~』を批評した監督^ a b c 唯一神又吉光雄・イエス・キリスト『再臨のキリスト、唯一神又吉イエスは日本・世界をどうするかどのようにするか』那覇出版社、2003年、奥付。^ 又吉氏のドキュメンタリー映画三十五分 期間2005年11/3~11/6 主催者 山中工務店^ “革新の比嘉氏が大差で初当選”. 琉球新報. (1997年7月13日) 2012年12月23日閲覧。^ “比嘉氏再選果たす/宜野湾市長選”. 琉球新報. (2001年7月16日) 2012年12月23日閲覧。^ “岸本氏、大差で再選/名護市長選挙”. 琉球新報. (2002年2月4日) 2012年12月23日閲覧。^ “稲嶺氏再選 21万票差/県知事選”. 琉球新報. (2002年11月18日) 2012年12月23日閲覧。関連項目[編集]泡沫候補ミニ政党外部リンク[編集] ウィキクォートに又吉イエスに関する引用句集があります。世界経済共同体党【都市伝説を追う】有名候補者、又吉イエス代表の素顔に迫る“唯一神”のすべてが明らかに - 産経デジタル WebArchive 2009年7月25日真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚真世界創世計画又吉 イエス(またよし イエス、1944年2月5日 - )は、日本の政治活動家。世界経済共同体党代表。本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称し、政治活動などを行っている。イエス・キリストを謳っている。(なお、キリスト教とは無関係ではない)[1]。目次 [非表示] 1 来歴1.1 生い立ち1.2 政治への目覚め1.3 沖縄での選挙運動1.4 東京での選挙運動1.5 引退報道を否定2 世界経済共同体党3 話題になった文面4 主義・思想5 恩師・師弟6 氏名7 語録8 著書9 映画10 過去の選挙結果11 出典12 関連項目13 外部リンク来歴[編集]生い立ち[編集]沖縄県宜野湾市にて、雑貨店の5人兄弟の末っ子として生まれる[2]。兄は元沖縄県総務部長・宜野湾市助役の又吉辰雄。1968年に中央大学商学部を卒業、卒業後は東京の商社や設計事務所で勤務した[2]。政治への目覚め[編集]その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[2]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[2]。1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立。現在、同党代表を務める。沖縄での選挙運動[編集]1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙に2回、名護市長選挙、2001年の宜野湾市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。東京での選挙運動[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙での街頭演説にて2013年、第23回参議院議員通常選挙にて2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から ( No.21 )
- 日時: 2017/10/22 18:07
- 名前: あ
バカアホどじまぬけ
Re: 真世界創世計画 ( No.22 )
- 日時: 2017/10/23 07:59
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
始めは少なくとも
一人よりも二人
二人よりも三人
三人よりも四人
多くの者達が一つの理想と信念の下で手を取り合えば 世界をも動かしうる強大な力になるのです。
Re: 真世界創世計画 ( No.23 )
- 日時: 2017/10/23 08:04
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
正義を掲げる者は何時だって弾圧され 批判される者です。
多くの悪魔達が正義を消そうと躍起になります…
それは変えようの無い事実であり現実です。
ですが それに耐えてこそ 真の正義が残るのです。
今や世界の中枢に存在している
キリスト教 ユダヤ人
もかつては弾圧されていました…
ですが、彼らは己の正義を 理想を信じ
それを最期の最後まで貫いた事で
それらが真になったのです。
Re: 真世界創世計画 ( No.24 )
- 日時: 2017/10/23 08:07
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
私は負けません
私は屈しません
世界に蔓延る悪を全て滅ぼし
世界に真の正義と平和をもたらすために
私は常に戦い続け
声を上げる事が出来ずにいる
私の同志達に声をかけ続けます。
叩かれても潰れず
払われても落ちず
打ちのめされても立ち上がる
そうして私は正義の御旗を掲げ
勇者と英雄が立ち上がるための拠り所となります。
Re: 真世界創世計画 ( No.25 )
- 日時: 2017/10/23 08:10
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
私の理想とする世界では
日本を牛耳る中国や朝鮮からやって来た
在日勢力は一切存在しません。
純粋な日本人達による
日本人による日本人のための国です。
Re: 真世界創世計画 ( No.26 )
- 日時: 2017/10/23 08:13
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
中国や朝鮮からの悪影響は
ひとえに日本政府が
力不足であるが故に蔓延したものです。
私の掲げる正義の下では
日本を腐敗させる一切の悪が存在しません。
全ての悪は正義の光を前に
影のように消え去るのです。
そう 我々が光となり
日本を 世界を蝕む
あらゆる悪を永遠に葬り去るのです。
Re: 真世界創世計画 ( No.27 )
- 日時: 2017/10/23 08:15
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
このまま放っておけば
世界の歪みは 大きくなるばかり
誰も世界の歪みを正そうとしないからです。
ならば 我々で世界を在るべき姿に戻しましょう!
Re: 真世界創世計画 ( No.28 )
- 日時: 2017/10/23 08:20
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: x/a8DpbY)
気高い心を持った
英雄 勇者の皆さん!
私は例え何年 何十年 何百年かけようと
必ずや真の世界を実現させます。
私と共に 真の世界を実現させ
真世界の指導者として
永遠の命を有し
悠久の時を生き
世界を導きませんか?
Re: 真世界創世計画 ( No.29 )
- 日時: 2017/10/23 09:22
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: UCsnQ/eU)
世界を変えようとすれば
正義を嫌う悪魔が邪魔をします
何故なら 彼らは正義を忌むからです
正義が成された世界では
彼らのような悪魔が生きられないからです
自分達が生きられない世界を全力で阻もうとする
利己的にして 未来を作れぬ 歪な存在
故に正義を拒むのです。
Re: 真世界創世計画 ( No.30 )
- 日時: 2017/10/23 17:01
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』
私は今、自分が帰化人の家系にあるとしって絶望しました。
私のこれまでしていた事とは一体何だったのでしょう。私は何の為に生きていたのでしょうか。
Re: 真世界創世計画 ( No.31 )
- 日時: 2017/10/23 17:11
- 名前: 真世界思想主義者『天地善次郎』 (ID: 4Pn0wawo)
まずは日本の皆様
前日は伊勢志摩サミットの無事的成功したことをお祝い申し上げます
世界の経済及び平和が今後も発展することを私たちも強く願っております
さてさて本題ですが
今回は今後も友好的にアジアの国々が付き合っていくため
韓国人の原爆被爆者の近後対応について考えて生きたいと思います
今回オバマさんが広島の平和記念碑某所に足を運んだことで歴史的悲劇である
大東亜戦争の核兵器問題の解決に一歩前進したのかと私個人は思います
しかし日本の原爆被害者にくらべ強制的に日本につれて来られ被爆した韓国人犠牲者のことはあまり知らされておりません
某韓国紙によりますと原爆被爆者の実に2割の被災者は韓国人であったといわれ
それが未だに世界には知らされていない
これはまことに遺憾であると私個人は思います
慰安婦問題を含めこれは千版国である日本の対応が今後問われることと
思います
どのような対応がふさわしいのかみんなで考えて生きましょう
注)
差別的発言および韓国人へのヘイト発言は禁止です
論議中に歴史的相違が有る場合はお互いの気持ちになり相手のことを考えて理解しあいましょう
Re: 真世界創世計画 ( No.32 )
- 日時: 2017/10/23 20:53
- 名前: 『天地善次郎』#1192 (ID: 9jAmV0B6)
悪魔が私の妨害をしているようですので
正義の証となる番号を付随できるかの練習をしてみます。
Re: 真世界創世計画 ( No.33 )
- 日時: 2017/10/23 20:57
- 名前: 『天地善次郎』 (ID: 9jAmV0B6)
いえ そもそも
私に成り済まそうとしている
悪魔達も IDにまでは干渉できないようですね
それならば 知恵ある者は
悪魔の妨害を潜り抜けて
私の言葉を見つけられますね
Re: 真世界創世計画 ( No.34 )
- 日時: 2017/10/23 21:03
- 名前: 『天地善次郎』
#ちんぽも見せずに何が安保だ
#ちんぽを見せる事は誠意を見せる事と同じだ安倍晋三
#安倍は朕に朕々を見せろ
#ちんぽをしゃぶれ安倍晋三
#ちんぽを洗え安倍晋三
#ちんぽを吊るせ安倍晋三
#5000兆円よこせ安倍晋三
#安倍晋三の金で焼肉が喰いたい
#安倍晋三のちんぽ公開を求める緊急行動
#ヤバすぎる共棒罪
#国民の前で謝罪と射精をしろ安倍晋三
#ちんぽを見せない人は独裁者
#陰茎開示この道しかない
#安倍晋三ドスケベボディ部
#ちんぽを見せないから都議選大敗した
#国民はちんぽを長くして待ってるぞ安倍晋三
#ソウルを火の海にする
Re: 真世界創世計画 ( No.35 )
- 日時: 2017/10/23 21:12
- 名前: 『天地善次郎』
ガキでも思いつくような安いヒロイズムに縋る事しかできない訳?
ボヤっと働いてるだけの街宣装置じゃないのなら、なんか他の事も喋ったら?昨日の晩飯の事でもいいからさ。
Re: 真世界創世計画 ( No.36 )
- 日時: 2017/10/23 21:25
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
チンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽチンポちんぽ
Re: 真世界創世計画 ( No.37 )
- 日時: 2017/10/23 21:30
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
真世界創世とかくっせーこと目論んでるなら俺とチンポについて語り明かすぐらいの寛大さはあってもいいよな??
チンポチンポ~~~俺の悪魔チンチンでズッコンバッコンして不浄に堕としてやろうか??ン????
Re: 真世界創世計画 ( No.38 )
- 日時: 2017/10/23 21:34
- 名前: 霧滝味噌ぎん◆.k1XJsDMDk
管理人掲示板で話す場所だって主張してたから真面目に聞きたい
自分、中一の少年なんだが、最近股間が膨張すると毎回、張り裂けるんじゃないかって位痛いのよ。
これは成長痛ってとっていいのかな?
Re: 真世界創世計画 ( No.39 )
- 日時: 2017/10/23 21:36
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
腐ったイデオロギーが濃厚に詰まってジャムみてえにねっとりした俺のこのスペルマでてめえの青いケツの中を高圧洗浄してやるよ
Re: 真世界創世計画 ( No.40 )
- 日時: 2017/10/23 21:42
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
管理人掲示板で演説()しはじめんなよ、俺がチンポチンポ言っただけで心折れてんの?草生えるわ
Re: 真世界創世計画 ( No.41 )
- 日時: 2017/10/23 22:24
- 名前: 『天地善次郎』 (ID: mG1D3cUc)
私が間違っている
そう考えている方がとても多いですが
私から見れば
何もしようとせず
のうのうと日常を食い潰し
ただ批判と拒絶しか出来ない
理解することすら出来ない
そんな批判家達の方が
正しいとはとても思えませんね。
私を間違えていると言うが
貴方達はどうでしょうか?
なりすましや
荒らしをする事が
正しい事なのでしょうか?
頭ごなしに批判する事が
正しいと呼べるのでしょうか?
Re: 真世界創世計画 ( No.42 )
- 日時: 2017/10/23 22:33
- 名前: マルチポジショニスト
で、そういう君は日ごろ何してんの?
やっぱりこうやって立ち小便のマトにしかならないようなビラ張って回ってんの?
Re: 真世界創世計画 ( No.43 )
- 日時: 2017/10/23 22:36
- 名前: 『天地善次郎』 (ID: SNXr4iuY)
それほどまでに下劣な言葉を思い付ける
貴方達には感心しますよ。
正に 理性なき獣と呼ぶに相応しい…
変化に乏しく 知能に欠け
語弊を持てず 静止を知らぬ
醜く 愚かで 大衆を表している
貴方は永遠に凡人でいられますよ
私が保証しましょう
Re: 真世界創世計画 ( No.47 )
- 日時: 2017/10/24 19:51
- 名前: 『天地善次郎』 (ID: w2THsilI)
理解できぬ者は
目が無い者と同じ
眼前に広がる色を見ることも
眼前に迫った刃を見分けることも出来ない
大衆は目の無い獣の群れに等しい
目が無いが故に識別できない
目が無いが故に判別できない
特に此処はそれが現れている
未来を見れぬ者に
未来の話は理解できぬ
色を知らぬ者に
色を語るがごとき愚行…
Re: 真世界創世計画 ( No.48 )
- 日時: 2017/10/24 19:55
- 名前: 『天地善次郎』 (ID: w2THsilI)
やはり 大衆は
知恵なき愚者の群れ
話すら出来ぬとは
何処までも失望させられる……
正義を知らぬ者は
卑しく浅ましい悪
いずれ淘汰され滅びるのみ
そして 自らがいざ滅ぼされると
確定し その刃が身を裂き
火が体を焼き始めてようやく
正義を信じ始める……
比喩では無く
真の意味で 大衆は目の無い獣だ
Re: 真世界創世計画 ( No.49 )
- 日時: 2017/10/24 20:14
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
>>47
本当立小便のマトにしかなんねえな、そのポエムもどきを主張か何かのつもりで書き殴ってるなら、貴方のいう大衆とやらを嘲て貶めようって魂胆しか見えないって話ですよ。理解するまでもなく浅はかで、ピントと焦点を合わせ続ける意味がまるでない。
色を知らぬ者に、色を語るがごとき愚行… って自分でいっちゃう??じゃあ此処から消えれば^^ってな。
貴方と同じカテゴリーの人間が運よくここに集まればいいですねえ(憫笑)
Re: 真世界創世計画 ( No.50 )
- 日時: 2017/10/24 20:18
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
我が思考は凡人には理解のしようが無い
しかし それはつまり
世界を変えられる者を
現段階で既に振り分けているということ
大衆と異なる思想を持つ私こそが
世界を変える資格を持つに相応しい
ほお、じゃあ俺が公衆の面前で性器を露出し音をたてて脱糞しようともくろんだなら、その時点で世界を変える資質をもった事になりますかねえ?
Re: 真世界創世計画 ( No.51 )
- 日時: 2017/10/24 20:23
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
いずれお前は社会から淘汰されるのみ
そして 自ら刃で手首を裂き
体に纏った炎が肉を溶かし始めて漸く
自分の愚かさと浅ましさを自覚する……
Re: 真世界創世計画 ( No.52 )
- 日時: 2017/10/24 20:44
- 名前: マルチポジション主義者【チンポ暴れ次郎】
具体性に欠如していて、まるで粋に浸ったクソガキそのものじゃないですかと。
タカ派のブログやネトウヨの中傷を読むのがマイブームですか???
こりゃあもうその辺の凡人のほうがよっぽどいい仕事しそうですね。
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