雑談掲示板

このスレッドはロックされています記事の閲覧のみとなります。

雑談しようよ!! 7!?
日時: 2025/05/19 17:10
名前: 彩都 (ID: fnlJVSkQ)

初めまして
彩都(サイト)と申します。
よろしくお願いいたします。

7スレ目です。
やったぁ。
でも6スレとも荒らしが来て埋められてしまいました、笑った。

連レスもどる



日本航空123便墜落事故 ( No.773 )
日時: 2025/09/02 17:40
名前: フルペデ委員会◆RzWJJvnJTo (ID: YaB1NT4U)

※この事故は様々な根拠に基づいています。本記事では、その中でもhttps://youtube.com/watch?v=bZr566tM588を参考としていますので、当時の全文を開示できない場合がありますが、ご了承ください。
※本記事では物事を分かりやすくさせるため物事をシーンに分けています。このシーンは非常に狭義なので、ご注意ください。
"日本航空123便墜落事故"(にほんこうくう123びんついらくじこ)とは1985年8月12日18時56分32秒に起きた航空機の事故。国内史上、"最悪の航空事故"などと呼ばれている。

[あらすじ]
日本航空123便は18時11分51秒、羽田空港から伊丹空港へ向けて飛び立った。
18時24分10秒、音声記録が開始される。

客室乗務員は「…たいと仰る方がいらっしゃるんですがよろしいでしょうか?」と機長らに聞いた。これについては明らかにされていないが、飛行中に席を離れることであったのは確かである(当時は高度が、およそ24000ftだったのでベルトは着用していたとみられる)。

これについては「トイレに行きたい」と考えるのが一番、無難であったものの真相は明らかにされていない。

当時は飛行中だったため、席を離れること自体に小さな危険性はあったとみられる。

[シーンA]
18時24分35秒、大きな爆発音が発生し、機体の後ろ部分が破損してしまった。
このとき何らかの不具合により油圧が下がってしまったと思われており、これが後に餡コントロール(操作不能状態)を巻き起こすこととなる。

この爆発は今までにない状態で、機長はトラブルとして22000ftまでの降下および羽田空港への帰還を要求した。

こうして機長はトラブルに伴い右旋回(Uターン)することと決めた。
これについては後に"海山論争"と呼ばれる、いわゆる右旋回するか左旋回するかで論争が広まった。右旋回する場合は山、左旋回する場合は海(太平洋)に進むこととなると予想された。これについては爆発を避ける為に海を答える人が居る中で、海で機体が沈没してしまっては救助に時間がかかり発見されないことも珍しくないとされ山を答える人も居た。

しかし、この後に機長らは賞状を受賞するため結果論として山の判断は正しかったとされる。

ただし、これは、あくまで操縦不能になってしまった場合のことであり、操縦可能であれば羽田空港や、この後に出てくる横田基地へ戻れたであろう。

なお、ここで供述しておくが機長らは元々、日本航空123便に対して長い航空期間を得ており、いわゆるベテランである。その結果が4人の救助者を生んだのかもしれない。

[シーンB]
この事件は機長ら(機長、副機長、航空機関士を略する)と東京コントロール(日本航空会社)が登場人物となっている。

18時25分40秒、機長は大島へのレーダー誘導を希望した。そこで東京コントロールは右旋回を推奨しつつも右旋回か左旋回かを聞いた。それに対しては27秒ほどの考慮の後、機長は右旋回を希望した。

当時は機長が副機長に対して指示をし、副機長が航空機を操作していた。
その後、航空機は謎の右に傾いたり戻ったりする、ふりこのような現象を起こした。その現象によるためか右旋回が思うようにできず、航空機は焼津方面に向かっていった。

その後、機長は東京コントロールに"緊急事態"を宣言した。

[シーンC]
22000ft(目標)まで高度を下げることに成功したものの針路が留まらなかった。

この時、客室乗務員による声が、その場に居た乗客を落ち着かせた。
なお当時は原因不明のアンコントロール、それに伴う酸欠状態などが重なり機長など適切な判断が行えなかったとされている(一部では焦るシーンもあったりした)。

また機長の言葉からすると、機長は非常に強気な機長であったことが分かる。

なお操縦不能なことと上手く着陸できる保証がないため、被害をなるべく少なくするために山へ不時着したという理論もある(右旋回や左旋回を繰り返し山々を超えていったシーンは特に不時着の理論を裏付ける証拠となった)。

副機長は東京コントロールの発言により機体識別コードを2072に変更させた。

18時30分36秒頃、酸素マスクが正常に落ちているかの確認が行われた(操作が思うように効かないため当時の高度は24000ftまで迫っていた)。

72マイル先に名古屋空港があることも分かり、東京コントロールは選択肢を与えたが、機長は羽田空港を希望した。

その後、緊急事態と判断した東京コントロールは日本語で話していいこととした。
なお記録上の問題により一部は記録されなかった部分もある。その部分は場面などから推測した部分である。

[シーンD]
機長は副機長に頭を下げるよう促した。

18時40分23秒頃、ギヤダウンをした。
周波数を134.0に切り替えるよう東京コントロールは推奨をした。

連レスもどる