雑談掲示板

【開催】第14回 紅蓮祭に添へて、【小説練習】
日時: 2022/06/18 14:16
名前: 浅葱 游◆jRIrZoOLik (ID: bC2quZIk)

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 執筆前に必ず目を通してください:>>126

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 ■第14回 紅蓮祭を添へて、 / 期間:令和4年6月18日~令和4年7月31日
 白く眩む日差しの中で、水面は刺すように揺れていた。



 □ようこそ、こちら小説練習スレと銘打っています。


 □主旨
 ・親記事にて提示された『■』の下にある、小説の始まりの「一文」から小説を書いていただきます。
 ・内容、ジャンルに関して指定はありません。
 ・練習、ですので、普段書かないジャンルに気軽に手を出して頂けると嬉しいです。
 ・投稿するだけ有り、雑談(可能なら作品や、小説の話)も可です。
 ・講評メインではありません、想像力や書き方の練習等、参加者各位の技術を盗み合ってもらいたいです。


 □注意
 ・始まりの一文は、改変・自己解釈等による文の差し替えを行わないでください。
 ・他者を貶める発言や荒らしに関してはスルーお願いします。対応はスレ主が行います。
 ・不定期にお題となる一文が変わります。
 ・一作品あたり500文字以上の執筆はお願いします。上限は3レスまでです。
 ・開始時と終了時には「必ず」告知致します。19時から20時を目安にお待ちください。
 ・当スレッドのお題を他所スレッドで用いる際には、必ずご一報ください。
 


 □お暇な時に、SSのような形でご参加いただければと思います。


 ■目次
 ▶︎第1回 氷菓子を添へて、:今日、全てのテレビ番組がある話題について報道していた。
 >>040 第1回参加者まとめ

 ▷第2回 邂逅を添へて、:彼女はいつもと変わらない、甘い匂いをまとっていた。
 >>072 第2回参加者まとめ

 ▶︎第3回 賞賛を添へて、:「問おう、君の勇気を」
 >>119 第3回参加者まとめ

 ▷第4回目 袖時雨を添へて、:手紙は何日も前から書き始めていた。
 >>158 第4回参加者まとめ

 ▶︎第5回 絢爛を添へて、:「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」
 >>184 第5回参加者まとめ

 ▷第6回 せせらぎに添へて、:名前も知らないのに、
 >>227 第6回参加者まとめ

 ▶︎第7回 硝子玉を添へて、:笹の葉から垂れ下がる細長い紙面を見て、私は思う。
 >>259 第7回参加者まとめ

 ▷第8回 一匙の冀望を添へて、:平成最後の夏、僕こと矢野碧(やの あおい)は、親友の中山水樹(なかやま みずき)を殺した。
 >>276 第8回参加者まとめ

 ▶︎第9回 喝采に添へて、:一番大切な臓器って何だと思う、と君が言うものだから
 >>285 第9回参加者まとめ

 ▷第10回 鎌鼬に添へて、:もしも、私に明日が来ないとしたら
 >>306 第10回参加者まとめ

 ▶︎第11回 狂い咲きに添へて、:凍てつく夜に降る雪は、昨日の世界を白く染めていた。
 >>315 第11回参加者まとめ

 ▷第12回 玉響と添へて、:――鏡よ、鏡。この世で一番美しいものは何?
 >>322 第12回参加者まとめ

 ▶第13回 瓶覗きを添へて、:赤い彼女は、狭い水槽の中に閉じ込められている。
 >>325 アロンアルファさん
 >>326 友桃さん
 >>328 黒崎加奈さん
 >>329 メデューサさん
 >>331 ヨモツカミ
 >>332 脳内クレイジーガールさん

 ▷第14回 紅蓮祭に添へて、:白く眩む日差しの中で、水面は刺すように揺れていた。


 ▼第n回目:そこにナマコが置いてあった。
 (エイプリルフール企画/投稿期間:平成30年4月1日のみ)
 >>156 悪意のナマコ星さん
 >>157 東谷新翠さん
 >>240 霧滝味噌ぎんさん


 □何かありましたらご連絡ください。
 →Twitter:@soete_kkkinfo
 

 □(敬称略)
 企画原案:ヨモツカミ、なつぞら
 運営管理:浅葱、ヨモツカミ

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Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.83 )
日時: 2018/01/22 17:16
名前: 透 (ID: v2UlAotQ)

「問おう、君の勇気を」
「なんだよ突然」
「ほらここ。『問おう、君の勇気を』って読めるじゃん」

 そう言って、蓑田(みのだ)はカタカナと横線の羅列の一部を人差し指で示す。さかむけのある指が紙上を滑るのを、俺は黙って見つめた。
 トオ——ウ—キ———ミノ—ユウ——キオ。
 問おう、君の勇気を。
 無理がある気もするが、確かにそう読める。と言うよりは、それ以外の部分が日本語として成立していないので、そう『読む』しかないのかもしれない。

「勇気を、問われてんのか?」
「勇気を問われてるみたいだよ」
「……なんでだよ」

 なんでって言われても、と、蓑田は困った顔をした。蓑田の中では、この謎はもう解決したらしく、呑気に布団なんか敷き始めている。渡岡(とおか)、と、この島の名前を柄にした、この島で一件だけの宿屋の浴衣を着て、いつもの様に浮かれている。
 蓑田が畳の上を歩く音が煩い。窓の外の、暴風雨の方がやかましいのに、なぜが彼が出す乾いた音が癪に障った。

「適当なこと言うなよ」

 蓑田は何も答えなかった。いや、答えたかもしれないが、声が小さ過ぎてよく聞き取れなかった。
 俺は舌打ちをして、持参したメモ帳をまた睨みつける。普段は動画のネタだったり、噂の心霊スポットだったりを書き込んでいるそれに、今は暗号めいた文字列——ただ、大半は横線だから記号列とした方が正しいかもしれない——が、記されている。それは、俺が昨日書いたものだった。
 始まりは三日前だった。気が付くと、俺の携帯に留守電の音声メッセージが入っていた。知らない番号からだ。音声を再生すると、ノイズ音がスピーカーから流れ始めた。テレビの砂嵐にも似た、けれど確かに違うノイズ音。それが三十秒間、一度も途絶えることなく続き、最後はプツッと切れた。その音声メッセージを再び確認することは出来なかった。着信自体が、履歴から無くなっていたからだ。
 一昨日もまた、知らぬ間に留守電の音声メッセージが入っていた。同じノイズ音の謎の音声に、今度はちゃんと耳を澄ませてみた。別の音がある。それは言葉のようなものを言っていた。音割れが酷いのか、声では性別や年齢を判断できない。雑音に邪魔されて、言っている内容すら分からない。そうしてきっちり三十秒後、それはやはり切れた。
 次は正体不明のメッセージを録音しようと考え、昨日、同様に携帯に残されていたそれを、ボイスレコーダーに録音した。それから、聞き取れた分だけを文字に起こしてみた。ノイズがかかっている箇所は横線で表した。すると、実は、俺は半分くらいは聞き取れていたらしかった。
 —オカ—ウ——ケ———ノダ————キ———テ—トオ——ウ—キ———ミノ—ユウ——キオ——テ—ト—カト——ケン—ミ—ダ—ウ——キ—ツケ——ト——トウ—キケ——ミノ——ウ———オツ—テ。
 可視化したところで、何も前進しなかった。寧ろその奇怪さが増すだけで、近寄り難く、見ているだけで気分が悪くなるようものが姿を表してしまったようだった。禁忌に触れる前の動揺らしき物が、身体の内部に居座っている。こんな感覚は、どんな心霊スポットでも感じたことのないものだ。

「それは、動画にはしないの」

 蓑田が突然に話しかけてきた。俺は思わず肩を震わせてしまう。「しねえよ」、今までで一番強く言い返すと、蓑田は怯んだのか、俺みたいに肩を動かした。けれど、そこから動こうとはしなかった。畳の上でメモ帳を見る俺を、蓑田は立ったまま見下ろしている。

「でも、チャンネル登録者数増えるかもしれないよ。再生回数、今よりずっと増えるかもしれないよ」

 蓑田の肩越しに、円形の蛍光灯が見える。蓑田の細長い身体は、陰にすっぽりと包まれてほとんど真っ黒だった。表情など窺い知ることはできない。その地味な顔が、凹凸がある黒い頭部にしか見えなかったのだ。

「しないって言ったらしない、これはそーいうもんじゃねえの。というかお前機材は確認したのか。充電は? メモリーの容量は? こっちのこと気にする暇があんなら自分の仕事をちゃんとやれよ。帰りの新幹線の切符も買ってねえくせによ」

 俺は強がって捲し立てた。役立たず、そう吐き捨てて窓辺に寄った。蓑田の影から逃れた瞬間、ハッと息を吐き出せた。バタバタと、雨粒が窓ガラスにぶつかって強風に流されていく。風は甲高く、女の未練の泣き声のようにも聞こえる。しかし、何故だろうか、窓の外側の闇ばかりの世界の方が、明るい此方よりもずっと穏やかで安心できる場所のように錯覚した。
 
「……明日、撮影出来るといいね」

 蓑田は突っ立ったまま、窓の向こうの、東側辺りを見ていた。東には崖がある。自殺の名所、だそうだ。
 蓑田はそのまま、おやすみも言わず自分の布団に潜り込んだ。
 今は何時だろうか。携帯を確認するのも億劫だ。なのに眠る気にもなれず、俺はメモ帳の文字列を眺めた。そして唐突に、あっ、と、心臓が跳ねた。

 —オカ—ウ——ケ———『ノダ』————キ———テ—トオ——ウ—キ———『ミノ』—ユウ——キオ——テ—。

 ——『ノダ』————『ミノ』————。

 ——『ミノダ』。
 文字列の中で、その名前が浮き上がって見える。あの声はミノダと言っていたのだと確信した。俺は僅かに乱れた呼吸を整えながら、もう一度文字列を追っていく。どうやら声は、同じことを四度も繰り返し言っていたらしい。だから、ノイズ音で聞こえなかったところを、別の部分から補うことができた。
 トオカトウ、『渡岡島』。今まさにいるこの島だ。
 キケン、『危険』。
 ミノダユウ、『蓑田悠』。これは蓑田の名前。
 キオツケテ——キヲツケテ、『気を付けて』。
 蓑田! 俺は蓑田に向かって叫んだ。蓑田は動かない。白い電灯の光が、白い布団を照らしているが、それが動かない。俺は掛け布団を無理矢理引き剥がした。蓑田は目を瞑っていたが、やがてゆっくりと目を開けた。瞼と下瞼の隙間に黒い目玉が現れ、俺を睨みつけた。

「電気消して」
「蓑田、明日の撮影はやめようか」
「消してよ」

 蓑田が天井を指差す。節くれだった指。青白い肌。蓑田は気味が悪くて、生気がない。まるで幽霊みたいなやつだ。どうして俺はこんな奴と、インターネット動画マンなんてしているんだろう。答えは単純だが、俺はそれを自覚するのを拒んでいる。
 蓑田に少し命令されただけで苛立った俺は、蛍光灯から垂れ下がった紐を乱暴に引っ張った。
 暗転する。俺はまだ布団を敷いていなかったが、手探りで掛け布団にくるまると、その場に寝転んだ。冷たい布団だった。それが肌に張り付いてくる感覚も、布団からはみ出た肌を、古い畳のささくれが突き刺してくる感覚も、不快だった。

「大丈夫だよ。明日こそ、上手くやるから。いい映像、ちゃんと撮るからさ」

 暗闇の中から蓑田の声が聞こえる。明日、蓑田に何か起こるのだろうか。渡岡島、危険、蓑田悠—、気を付けて。
 ——おかしい、何かが足りない。
 蓑田はまた喋り始める。

「本当は帰りの新幹線の切符も買ってある。一枚だけだけど。だから、役立たず、なんて言うな」

 どうして一枚しか買ってないんだ。心臓が騒ぎ始める、喉が一気に渇く。声が出なかった。
 足りない文字は、「に」だ。
 渡岡島、危険、蓑田悠に、気を付けて。
 俺は口を開ける。それだけで精一杯で、舌の上をずり落ちていく自分の呼吸は浅かった。喉奥から声を絞り出した。

「俺、ちゃんと帰れるよな」

 蓑田は何も答えなかった。
  *

 はじめまして! 透と申します!
 以前から参加したいなーと思いつつ、形にできないままでしたが、今回ようやく文章にすることができました。
 楽しく書かせていただきましたので、ぜひ、読んで楽しんでいただければと思います!

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.84 )
日時: 2018/01/20 04:25
名前: ヨモツカミ (ID: 6pALansE)

第二回目の参加者様達への感想、途中で気力が尽きてしまって最後まで書けなかったけれど、どれも個性とセンスがあって素敵でした。
同じお題で、こうも違いが出るのですね。女性や香りについてのお題だったこともあって、花に関する内容がやや多めでしたが、花にも種類がありますし、一人一人が花に対して抱くイメージとか連想するものも全く違うので、なんていうか、凄かったです。
個人的に好きだったのは壱之紡さんと三森さんのでした。それから、凛太さんの文章が大好きだったので、参加いただけてとても嬉しかったです。

>>Alfさん
初参加ありがとうございました。言葉の引き出しが多いのでしょうか……龍の描写がひたすら格好良くて震えます。憧れるけど表現力も言葉選びもボキャブラリーも何一つ簡単に真似できるものでは無いのがひたすらに悔しい。唯一無二の孤高の文って感じですね。勿論龍だけでなく勇者一行全員の描写も素敵でした。
最後の塩焼きで全部持って行かれましたね(笑)美味しいなら良かった。

今まで全員に感想を送りつけようと思っていて、前回参加者のあまりの多さに、全員は無理だから好きだと思ったものにだけそれを伝えようと思いましたが、一発目から鳥肌が立つ程好きでした。好きです。

>>メデュさん
初参加ありがとうございました。前回も一応書いて下さっていたので初参加って言っていいのかわかりませんが。
短く簡潔にゾワッとできる話で好きでした。ホラーって、めっちゃ季節外れやん、とは思いましたが(笑)
読み手を裏切るような、想像のつかない終わり方をする小説って好きです。

>>日向さん
確か初参加ですよね? 初めて来てくださった感覚がしないのは何故か。参加ありがとうございます。
おそらく日向さんの書く文章を初めて読みました。あまり読書しないマンなので、知ってる中だと江戸川乱歩の文章に近くて、雰囲気とか表現、とっても好きだなぁと感じました。なんで今まで日向さんの小説読んでこなかったのかしらと後悔しております。
解釈に自信がないのですが先輩の御兄様が話に出てきた本の作者、ということでしょうか。感想を書くときもボキャ貧で上手く言えないのが歯がゆいですが、なんか、なんか素敵だなあと思ったんです、好きです。

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.85 )
日時: 2018/01/23 23:25
名前: 月白鳥◆/Y5KFzQjcs (ID: l62JIP.6)

「問おう、君の勇気を」
「問おう、君の」
「問おう」
「問」
「君の」
「貴方の」
「オマエの」

 壊れた機械を詰め込まれたように青ざめた顔のRobinson研究助手が呟いている。愛嬌をにじませる灰色の瞳に正気の光は薄く、精緻な実験技術を有する諸手はぶらぶらと揺れては彼方此方にぶつけて傷だらけ、腹には明らかに致命傷であろう巨大な刺創がいくつもあり、――その穴の全てから、無数の黒光りする節足動物が湧き出していた。耳を澄ませば、うぞうぞと蠢く節足動物どもが神経を噛み、消化液を注入し、どろどろに溶けた内臓や筋肉を啜る水っぽい音が聞こえたことだろう。幸か不幸かその音は微かで、近傍の区画で発生している戦闘の音に掻き消されている。
 Glim博士は、彷徨う部下だったものの眉間に、支給されている自動拳銃の先を向けた。アンダーリムの黒縁眼鏡の奥、怜悧な光を湛える空色の双眸が、何処か憐れむような色を帯びてRobinsonを見ていた。

「すまない。すまなかったRobinson。私は無力だ……」
「博士、逃げてッ、殺さレ……喰う、食ら、逃ッげ、痛い、痛くなっ……痛い、痛いっ、痛いィ」

 まだ脳組織にまで魔手は及んでいないのか。不随意に四肢を跳ねさせ、垂れがちの眼に痛苦の涙を溜めて、若き研究助手は苦悶に喘ぐ。感じ取るのは、神経組織を食い齧られる筆舌に尽くしがたき激痛と、己の体が徐々に得体の知れぬ節足動物に侵食されていく恐怖、そしてそれを誰も――目の前の博士すらも救えないと知るが故の、虚無的なまでの絶望ばかりだ。
 ぞわぞわと音を立てて這い回る多足の蟲。それから視線を外して、博士はまっすぐに研究助手を見た。命ごと失われかけた正気が、それでも僅かな光芒を以って彼を見返した。

「せめて、君が正気の内に」
「ダメですっ、Glim博士、逃げて下さ……ぃ、っ」

 一つ。弱弱しく咳き込んだ拍子に、赤黒い血とまだ小型の蟲が一匹口の端から零れ落ちる。もはや一刻の猶予もない。薬品によって荒れ放題の手に握りしめた拳銃、その引き金に指を掛け、その瞳は最期までRobinsonを視界に捉えて離すことはなかった。
 ほんの一メートルほどの距離から放たれた一発の弾丸は、狙い過たず苦悶に歪む男の眉間に命中。回転する銃弾は、末期の苦痛を認識させる間もなく脳を破壊し、頭蓋を突き抜け、血と脳漿をまき散らしながら反対へと突き抜けていく。骨肉を貪られて随分軽くなった青年の身体は、銃弾の勢いに引きずられ、半ば吹き飛ぶように床へ仰向けに倒れ伏した。
 博士は表情を変えない。白衣の内ポケットから小さなスプレーボトルを出すと、その中身――節足動物に選択毒性を持つ殺虫剤――を、迷いなく黒光りするものたちへ噴射する。それは即座に薬効を示し、あるものはその場で身体をのたうたせた後ひっくり返り、あるものは数メートル逃げ惑った後その場で息絶え、あるものは博士に歯牙を突き立てようとして、防刃の服に阻まれる間に死んでいった。

「Robinson……」

 最後の一匹が数度の痙攣の後動きを止め、ようやく博士は冷徹さの仮面を脱ぐ。眉間に大穴を開けられ、首から下をほとんど服と表皮だけにされた無残な遺体。目を見開いたまま絶息したその表情は、しかし存外穏やかなものだ。しかし、開ききった瞳孔が空しく照明の光を映す様に、博士は最早耐えられなかった。
 そっと、拳銃を握らぬ手が目を閉じさせる。空色の双眸はひたすらに己の過ちを悔いつつも、しかし悲嘆にくれてばかりの軟弱さはない。手塩にかけた部下が死して尚、彼は己の双肩にかかる責務を全うすべく、無数のタスクと記憶を脳内で展開していた。
 脳裏によぎる。激痛と絶望に魘されながら、Robinsonが繰り返し発した言葉。

“問おう、君の勇気を”

 それはかつて、彼がこの研究所に入りたてのころ、己が投げた言葉だった。
 Robinsonは恐らく、末期に一つの答えを見たのだろう。薄れゆく意識と正気の中、それでも上司の身を案じ、この研究所の最高頭脳の身を案じ、己という存在を捨ててそれを脅威から逃がす決断。それは彼の中で最も崇高な勇気であったが、Glim博士がそれをはねつけたことで、最も意味のない蛮勇となってしまった。
 ならば己は。
 彼の示した勇気を蛮勇へ成り下げてしまった己は、一体何を示せばいいのだろうか?

「痴れたことを!」

 自身の弱さを自分で嘲笑った。答えなど最初から決まっている。
 己はiso-ha管理主任。かつて起きた“メイデイ”の惨禍を越え、その惨劇でただ一人犠牲となった才人より全権を預かる者。己の双肩には、己だけでない。数千の研究員と同僚、数万の無辜なる被験者、数十億の今生きる民に、数えることすら出来ない未来が掛かっているのだ。
 既に犠牲は出てしまった。ならば。

「逃げるわけにはいかないんだ、Robinson――だが、私にはまだ、死ぬことすら許されない」

 苦しげに呻いたGlim博士の脳裏を、亡き部下の声が、いつまでも苛んだ。


***

御題:「問おう、君の勇気を」
表題:蛮勇と臆病さの境界に関する心情の記述、或いは、iso-ha総合監督官の査問に際する供述

***

自分のために、自分のせいで、払われた犠牲の上に立って尚生きる勇気の話

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.86 )
日時: 2018/01/20 13:02
名前: 三森電池◆IvIoGk3xD6 (ID: DtY5WDUc)

 「問おう、君の勇気を」

 僕に対峙して、僕が立っている。そいつは、フェンスに寄りかかったまま、すうっと息を吸いこんで、僕らしかぬ余裕の表情で言い放った。

 「なんだってんだよ……」
 「だから、ここから飛び降りて死ぬ勇気が、君にはあるかって、聞いてるんだよ」

 やれやれ、と僕にとそっくりな何かは、首を横に振る。透きとおるような晴天の空の下、こっちの僕はさっきから冷や汗が止まらない。
 遡ること五分前、僕は、このビルの屋上から飛び降りて死のうとしていた。二十五歳でフリーター、人生にやりたいことが見つからず、友情や恋愛においてもろくでもない経験しかできなかった。僕に生きることは向いていない。明日が来るのが億劫で仕方ない。手取り十余で食いつなぐような惨めな人生は、もう終わりにしてやる。思い返すと突発的な決断であった。今日、朝八時に出勤しいつものように働いて、三十分間の昼休憩の時、ふと人生、これでいいんだろうかと頭によぎって、これまでの経験とこれから直面するであろう出来事を考えてみて、もう死んだ方が楽ではないかと感じはじめたのだ。
 そこに現れたのが、こいつである。僕にそっくりな見た目をしている、というか髪型も仕草も服装も靴も、僕そのものの人間。職場の近くの廃墟ビルの屋上まで上がってきたとき、そいつはフェンス間際に立っていた。そして、

 「やぁ、僕。よくここまで来たね」

 と、けらけらと笑い出したのだ。
 僕は腐っても死を覚悟した人間だ。これは死ぬ直前に見える、ある種の幻覚なんだろうと自己完結させるも、目の前に自分がもう一人いるという気持ち悪さから、動揺せずにはいられなかった。当たりを見回して、他に人がいないかと探す。こんな廃墟に僕やこいつ以外の人間がいるはずがないのは分かっていたため、結局諦めてそいつにこう言い返すしかなかった。

 「死ぬ覚悟が、できてるからここにいるんだろ」

 声を絞り出した。強く吹く春の風に、かき消されてしまいそうになりながら。死ぬ覚悟、といざ口に出してみると、死に対する現実的な恐怖がこみ上げてくる。並べた言葉とは逆に、自分でもわかるくらい、とても弱々しい声色だった。目の前に立っている僕は、それを見て、またにやりと、趣味の悪そうな笑顔を浮かべた。

 「今日日世の中、年間五十三万もの人間がなんらかの自殺手段を決行しているけれども、実際に天へ旅立てるのはたった三万だ。死って怖いもんなあ、君の気持ちも、わかるよ」

 でもねえ、もし君が本当に死ぬってんなら、僕は、その勇気を讃えて見送ろうと思うんだ。そいつは言って、フェンスに寄りかかった体を起こした。

 「ネタばらししてやろう、僕は、未来から来た君だ。顔も服装も髪型もそっくりだろう、僕は君なんだ。これでも、自殺を止めに来たつもりだ」

 人差し指を立てて、僕に似たなにかは言う。
 えらく頓珍漢なことを言っているが、これだけ見た目がそっくりなのだから、彼の言うとおり、これを未来から来た僕だと確定する以外に他はない。死ぬ前に見る幻覚とは、こんなにリアルなものなのかとぼんやり思いながら、本当はさっさと飛び降りたかったが、僕が心置きなく死ねるように、少しだけ自称未来人のおしゃべりに付き合ってやることにした。

 「……逆に問おう。未来の僕は、どうなっている?」
 「ああ、いい質問だねえ」

 ぽん、と手を合わせた未来人は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。僕そっくりの人間がこんなにも笑っているのは気持ちが悪く、まるで、お面をかぶっているようであった。

 「君が死ななかった世界線の僕は、相変わらずフリーターだし、友達も彼女もいない。それに加えて、父親が三年後、末期がんで死ぬんだ。まだ三十歳くらいまでしか僕は生きていないけど、相当運の悪い人生だね」
 「なんだ、よかった。もう現世に悔いはないよ、安心して死ねる」
 「たださ、聞いてくれよ、僕。君の好きだった水曜十時のバラエティ、二年後に、深夜枠だけど復活するんだ。あと、読んでたあの漫画、最終回めちゃくちゃ良かったよ。相変わらず無趣味だけど、貯めたお金でちょっと良い車なんか買ってさ、僕は今、少し楽しいんだよ」

 彼は嬉しそうに語る。今の僕には、きっとこんな表情はできない。そんなこと、言われたところで、僕の将来に対する漠然とした、それでいて確かな不安は消えない。こいつが楽しそうに笑っていられるのは、今だけだ。現状は何も変わらない。少しいい車を買っても、好きな漫画の最終回を見届けても、僕はフリーターだし、友達も彼女もいない。何も前に進めていない。

 「……生憎だけど、僕は死ぬよ。君みたいには、なりたくないから」

 確定した未来をこいつに訊いたのは正解だっただろう。さっきよりも、強い意志を持って、その言葉を言える。

 「そっか、そうだよな。ただ君、考えても見てくれよ」

 お前みたいにはなりたくない、とまで言われておきながら、彼は笑顔を崩さない。まるで僕が薄っぺらい宗教団体にでも嵌ってしまったみたいだ。そいつは、冷や汗を拭う僕を見ながら、言った。

 「自殺といえども、自分という人間をひとり殺しているんだ。君が向かう場所は、天国じゃなくて地獄だろうね。殺害を犯した人間は、地獄の中でも特に罪が重い。灼熱の中永劫の時を苦しむんだ。どうかい? その覚悟はあるかい?」
 「この世に存在しない場所のことを語られても、僕に答えは出せない。ただ、このまま生きているよりはずっとマシだ」
 「でも、完全に存在しないとは言いきれないだろう? 子供の頃から、死んだら天国と地獄があって、と教えられてきただろ」

 永遠に苦しむ。その言葉を聞いて身が怯む。人間は死んでしまった瞬間、意識ごとぱたりと消えてしまうものだと思っているが、そこに行って帰ってきた人間が今まで一人もいないのを見る限り、天国や地獄の可能性は、完全には否定できない。
 未来人の僕は、僕が少し怯んでいるのをいいことに、また言葉を続ける。

 「なあ、僕よ。結局のところ、僕は君に、死ぬ勇気じゃなくて、生きる勇気を問いたいんだ。僕は今幸せだよ。もし現状が嫌なら抜け出す術は山ほどある。運命は変えられないけれど、自分で変えていくものでもある」
 「なに、言ってんだよ、僕のくせに」
 「僕だから言ってるんだよ。僕を止められるのは、僕だけだ」

 うるさい。結局僕はなるようにしかならない人間だ。抜け出せる術なんていらない。今起きているこの現状が、人生が、もう耐えられないのだ。
 息の仕方がわからなくなって、自然に脈拍数が上がり、蹲る僕を見下ろす未来人は、さっきまでの笑顔が嘘のように、冷めきった目つきをしていた。それに怯えて唾を飲むと、恐ろしく冷たい声が上から降ってくる。

 「なあ、僕。実は知っているんだ」
 「うるさい、僕は、本気で、死に」
 「君も僕なら知っているだろう、僕がなにもかも中途半端以下の存在だってこと。生きるのも死ぬのも怖くて、だらだら努力もせずに日々を続けているってこと。だいたい、本気で死ぬ気はあるのか? 僕のことだから、今朝突然思いついて……とか、そんなくだらない理由で、人生から逃げようとしてるんじゃないのか」

 かっとなって、未来人を思い切り睨みつけようとしたが、うまく体が動かない。とても悔しいことに、こいつは僕だから、僕のことをすべて知っている。本当は死にたくなんかないことも、でも生きるのも怖いということも。
 ノイズが入って、未来の僕はだんだん、見えなくなっていく。もうそろそろ、潮時か。こいつが消えるか、僕の意識が途絶えるのが先か。脈拍はさらに上がり、視界がぼやけてくる。
 なにもかも中途半端ならば、せめて、最後だけは。

 「悔しいなら生きてみなよ、僕」
 「違う、違うんだ、僕は……」

 立ち上がり、僕を押しのけて走り出した。
 驚いた顔をしている僕をよそに、力ずくでフェンスを越える。足がもつれて宙に投げ出され、それでも構わずに、向こう側に片足をつき、それをバネにして、快晴の空へおもいきり飛び込んだ。そして、ぽかんとした顔でこっちを見ている、ノイズだらけのあいつに向かって叫んだ。

 「これが、僕の勇気だ」




こんにちは、三森電池です。2回目の参加です。
本人も言っていますが、未来から来た僕はただの幻覚です。通勤中なんかに、遺書も残さずふらっと電車に飛び込んで死んでしまう人ってこんな感じなのかなと考えながら書きました。
もう長いこと間が空いたので、個別の返信は控えますが、第2回の私の作品にコメントしてくださった方、好きだと言ってくださった方、ありがとうございます。自分の好きなシチュエーションで、自分の一番得意なタイプの話を書いたので、褒めていただきとっても嬉しいです。
引き続き寒い時期が続きますのでみなさん体調にお気をつけください。
ありがとうございました(((^-^)))

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.87 )
日時: 2018/01/20 13:31
名前: 透 (ID: 5oZrYH7w)

>>86 三森電池さん

 こんにちは! みもりさんの書かれる文章がとても好きなので、投稿なさるのを楽しみにしていました!
 前回のお題の話は、切なくてほの暗い感じがして最高でした。今回のお話も最高でした!
 「僕」の心理描写とか、考えていることがすごくリアルで、感情移入しやすいなあと思いました。「未来の僕」の怪しげな語り口調も魅力的でした。ぐちゃぐちゃした「僕」と、分かったふうな「未来の僕」のやりとりが面白くて、すらすら読み進められました!
 ラストの決断も、普通なら生き続ける決断をするお話の方が多いと思うのですが、むしろ、死ぬ決断をしたのが面白いなあと思いました。話の中では終始「未来の僕」が優勢だったので、なおさら「僕」は理論とかそういうのを超えた決断をしたんだなあと思いました。
 悲しい結末な筈なのに、最後の描写はどこか爽快感を感じるもので、とても印象的でした。最後の台詞で、ちゃんと最後の台詞に応答してるのも素敵です。好きです。
 わたしは、みもりさん唯一無二のワールドが好きです。唯一無二なのに、多くの人が共感できるワールドなので、すごいなと思ってます。そもそも自分独自のワールドを作り出せるのってとてもすごいなと思います。
 これからも応援しています!

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.88 )
日時: 2018/01/20 16:16
名前: hiGa笳〓adZQ.XKhM (ID: iO1hgepA)

「問おう、君の勇気を」

 路地裏に追い詰められた彼は、そう呟いた。大粒の雨が地面に打ち付けられる中に、溶け込んでしまいそうな声なのに、その雨粒の雑踏を掻き分けるように彼の声はするりと私の耳に届いた。ただでさえ街頭から離れた夜の路地裏は、空が泣いているせいで、より一層に陰る。詰め寄ったお互いの表情だけが見える闇の中で、私は胸中の激情をただひたすらに彼にぶつけていた。彼の問いに答える必要など無い、私は無言のままにその質問など掃いて捨てた。
 雨を吸って重くなった彼の襟首を掴んだ手にこめる力を強め、ぐいと手元に引き寄せた。じわりと、あまりにも染み込んだ滴が浮き上がり、雨に混じってポタリと落ちる。私に追い詰められ、壁に押し付けられていた彼の体は、首元を視点としてぐいと引っ張られた。苦しいなとぼそりと口にしたが、その声は裏腹に、淡々としたものだった。
 襟を力任せに引っ張り、シャツのボタンを縫い付ける糸ごと引きちぎるように捨てる。勢いよく弾けとんだボタンは、地面を跳ねる声を土砂降りの雨音に書き消されながらどこかへと消えた。目の前に現れた、彼の病弱な白い柔肌に、私はナイフを突きつけた。研ぎ澄まされた刃が首筋に触れただけだが、薄皮一枚程度は簡単に裂け、じんわりと滲むように彼の血がナイフの刃に沿うように走った。
 ただそれも、顎から伝う液滴に飲まれて、すぐに流されて消えてしまった。怖いなと、ちっとも怖くなさそうな声で彼は私に告げる。先程から彼が私に抵抗できない理由はまさに、私が彼につきつけたこの小さな刃物である。わざわざ高い金を払っただけあって、人の肉くらいは容易く切れる。

「それで、君は誰かな」

 ふと、身に覚えがないかのように彼は尋ねた。先程から取り乱さず、整然とした様子で語りかけてくるその様子は、彼が犯した罪とは裏腹にとても理知的に思えた。
 私のことを歯牙にもかけていない、その事実になおさら私の身の内に潜む、怒りの炎はうねりを上げて燃え盛る。あるいは白々しくもとぼけているというのだろうか。
 ふざけるな。噛み締める奥歯の向こうから、血の味が広がる。私は片時もお前のことを忘れたことはない。大切な者を失って以来、ずっと自分の中に溜まっていた群青色の感情。この雨のようにずっと、私のことを湿っぽく濡らし続けた深い深い喪失と悲しみは、紛れもなく目の前の男がもたらしたものだ。

「とぼけるな」
「ふむ、女の子がそんな言葉を使うものじゃないよ」

 傘すらさしていないのは、彼だけでなく私も同じなので、同様に私自身も夕立に濡れそぼっていた。制服のスカートはぴっちりと太ももに張り付き、上はというと色気の欠片もない下着が透けている。鬱陶しいことに私の首筋には髪がぺったりと寄り添っており、一歩踏み出すごとに靴下から水が滲み出した。けれどそんなものは些末なことだ、私の胸に灯り続ける憎悪の炎は、それすら忘れさせるほどに荒れ狂っている。

「お前なら、どうせ見たことあるだろう」
「あいにく、女子高生、それとも中学生か? どちらでも構わないが、そういった知り合いはいなくてね」

 追い詰められたというのに、私の気まぐれでその喉は引き裂かれるというのに、まだまだ彼は余裕だった。追い詰められた実感が無いというのだろうか。私がただの学生だから、刃物を持って息巻く子鹿に過ぎないから、理由なんてどうでもよくて、その余裕が苛つく。私は手にこめる力をより一層強くした。薄皮一枚で留まっていた傷は少しだけ深まり、赤い血がだらりと流れる。

「何だ、脅しているつもりなのか」

 こうすれば少しは萎縮するだろう。そう思って刃を押し当てたことが読み取られたようだった。幼稚だなと吐き捨てるような物言いに、私はさらなる怒りを覚えた。この期に及んで、その立場で私を辱しめるのかと、私は勝手に凌辱されたような想いに駆られる。
 ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな。押し当てたナイフを一度離して、逆手に持ち帰る。そのまま、彼の顔目掛けて一息に突き刺す、ように見せてすぐ隣の壁に突き立てた。
 甲高い、金属同士がぶつかる音を立ててナイフは彼の顔を抉るギリギリの位置で、パイプと接していた。流石の切れ味とはいえ、流石にこういったものまでは切れないようだ。
 ただ、そんな小さなことよりも、ずっと気にくわないことは、それだけして脅かせて見せても、彼は瞬きをする以外はまるで表情を変えないことだ。真顔のままのその様子は、無言で「ほら何もできない」と煽っているようで。
 心の中を見透かされているようで、さっきからずっと身体中が熱かった。この熱さは、怒りは、今日という日まで片時も忘れたことの無い怒りとは違ったものだ。やることなすこと、ただ挑発に乗るだけ、相手の思うようにしか動いていない自分自身への恥じらいがない交ぜになった叱咤だ。身を焦がすような、恨みに溺れて脳髄を燃やすような、復讐のために我を忘れるような、あの吐き気のする類いの激情とは、違う。

「相浦 朝子」

 もうどうにでもなれ、そう自棄になった私はその名前を出すことにした。ようやくだった、彼の表情が変わったのは。口はつぐんだままだが、真ん丸に見開かれた目は彼の初めての動揺を雄弁に物語っていた。
 確かに私たちはあまり似ていないと誰からも言われるような姉妹だった。だが、よくよく眺めるにしたがって面影を見つけたのだろう。

「まさか、君は……」
「妹です」

 いい気味だった。やっとこの男から動揺を引き出せて、私はほくそ笑んだ。先程までの、焼けてとろけた鉛が体内を流れるような痛く熱すぎる恥辱は消え去って、心地よく暖かな優越感が得られる。
 これだけで、姉の敵を討ったような気分だった。見知らぬストーカーに付け狙われ、今日と同じような夕立の日、路地裏でその人に襲われ、一人きりで寂しい中、ぐしょぐしょに濡れながら失血死していた。凶器は腹に刺さったままのナイフだった。
 あの日の姉はどれだけ怖かっただろうか。想像するだけで私は、居合わせることができなかった情けなさに震える。寒空の下で血を失い、だんだんと冷たくなる体温で、彼女はどんな想いに駆られたのか。友達と浮かれて遊んでいただけの私には分からない。
 なぜ、あの日に限って。後悔はいつも先に立たない。姉から相談を受けていて、ずっと二人で出歩くようにしていた。断る私を押しきるように姉は、事件の日に、たまには私も遊んでこいと出掛けさせて、そして一人でいるところを狙われた。
 必ず犯人には同じ目を見せてやる。そして自分がしてきたことを悔いさせて、後悔の中で殺してやる。たとえ自らの将来を犠牲にしてでも、やり遂げようと決めた。それだけが、唯一私にできる贖罪だ、と。
 やっと、叶った。姉の周囲の人間関係を探り、目ぼしい者に目をつけ、執念深く調べあげた甲斐があった。報われた、そう思って安堵の息を漏らした時だった。それがいけなかったのか、それ以前にそもそも軽んじられていたのか、原因は分からない。それでも確かなのは私が勝利を確信し、追い求めた目標を達成したと甘美な充足感を得たその時だった。彼は、動揺をもう隠しており、またあの無感情な目で私を観察するように見ていた。

「満足したようなら、解放してもらおうか」

 今は首筋に刃が突きつけられていないことをいいことに、彼はゆうゆうと歩き出そうとした。何をしているのかと、私は再び左腕に力をこめ、壁に押し付ける。パイプに突き立てていたナイフも、もう一度喉仏に触れるほどの距離に近づけた。

「まだ、何で終わると思ったの」
「なぜ? それはもう君は無言で答えただろう」

 路地裏に入った際に問うたはずだと彼はいう。私に、勇気はあるかと。人を殺す勇気が、罪を犯す勇気が、という意味だろうと思い黙殺したものだ。別に無言で答えた訳ではない。私は声に出さず彼の主張を再び黙殺する。瞳の色から、答える気が無いことを察した彼は、私の代わりに口を開いた。

「君はどうやら、目を背けているようだね」

 聞いちゃいけない。私は、独りでに震え始めた手にぎゅっと力を込めようとする。ただ、体が言うことを聞かない。動け動けと念じてもナイフは柔らかそうな喉仏を貫かない。どうして……私は私の体のままならなさに絶望する。

「君は私が尋ねた言葉の意味を理解しているはずだ」
「……黙れ」
「おそらく君もお姉さんに似て聡明なのだろう、ちゃんと私が尋ねた真意に気づいた。気づいて蓋をしたんだ」
「……黙れって」
「あの問いの真意は、君からお姉さんを奪った同じ手口を君に実行する勇気があるかというものだ」
「黙れっつっんだろ!」
「君は答えられなかった。答えなかったんじゃない。決心が粉々にならないよう、否であると言葉にできなかった」

 うるせぇよと、か細い声が私の喉から漏れた。その声は今や他人の声のようで、先程までの怒りを、憎しみを、責任感を何一つ載せていない、空っぽの言葉だった。ざぁざぁと騒ぐ雨が私たちの声を夜の闇に紛らす。
 このまま、私の躊躇さえも溶かしてくれればいいのに。そう思っても、ダムが決壊したようにあふれでて無くなっていくのは、敵討ちの決心だけだった。
 体が言うことを聞いてくれない。震えはさっきよりも、ずっと強くなっていた。怯えなんかじゃない、これは武者震いだ。言い聞かせるように指先に力をこめる。それなのに、指先からナイフはこぼれ落ちた。
 カランコロン。取りこぼしてしまったのは、ナイフだけじゃなかったようだ。そのまま全身脱力して、膝から崩れ落ちる。水溜まりに映る影を眺めてみても、自分の顔がどうにも真っ暗で、見えなかった。
 私は誰なのか、何を思っているのか。本心は? 本当にしたいことは? 何一つ分からない。

「代わりに答えよう、君に勇気はない」

 解放された彼はそう告げ、大通りへと戻っていく。水溜まりを踏む足音が段々と遠ざかっていく。
 追わなきゃ。追わないの? どうして? もう機会なんて。どうせできやしない。そんな声が、あちこちから聞こえてくるような思いだった。声の主は、全て、自分自身。

「あぁあぁぁぁあああぁ……」

 夕立は、憎んだ敵と共に去りつつあった。五月蝿かった雨音は、段々と遠退いていく。
 もう私には、自分の号哭しか聞こえない。

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.89 )
日時: 2018/01/20 16:47
名前: hiGa◆nadZQ.XKhM (ID: XbAj86lI)

>>88の後書き
初?参加です。
何かバッドエンドになりました。
設定がどうあがいてもバッドエンドですが。
名前文字化け、許してください。


>>Alfさんへ返信の返信

ですよね、龍が滅茶苦茶カッコいいのはよく分かります。(語彙力仕事して)
その魅力が存分に描かれてるような文章で、ほんとに惚れ惚れしました。

なるほど、そんな意味が……。
その小さな変化にそんな意味が乗せられてるというのはなるほどと思いました。
これはもう少し考えるべきだったという、自分側の落ち度ですね。

何と龍のもつ煮込み……おいしそ((

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.90 )
日時: 2018/01/21 01:19
名前: あんず (ID: EQksipN6)

「問おう、君の勇気を」

 つけっぱなしのテレビから、その言葉だけが耳に飛び込んだ。目を上げた先の古そうな外国映画。微妙に雰囲気の合っていない吹き替えの声がリビングに流れている。色褪せた画面、主人公と悪役が戦っているらしい。安っぽい、昔のアクション映画だ。
 薄暗い部屋の中そのテレビだけが光源で、チカチカと頼りない。棒読みに近い俳優の声が耐え難くて音を消した。パクパクと、声を失くして口を動かす姿が滑稽で白々しくて目を逸らす。
 リモコンを掴んだ私の手はまだ震えていた。

「あーあ」

 手に持つリモコンを放り投げる。ガシャンと硬質な、重たいものが落ちる耳障りな音がした。壊れたかな、まあいいや。足元にころころと単三電池が一本、転がってきた。それを今度は蹴飛ばして、はあと溜息をつく。なんだか無性に落ち着かない。
 倒れている目の前の男を見たくなくて、片目を瞑って視線を落とす。左手は震えたままだ。その先にある台所包丁も、まるで腕の延長みたいにぴったりと握りこまれて震えている。離そうとしても手の力が抜けなくて、自分の体なのに変な気分。頭ばかりが冷静で、空いた右手でダイニングテーブルの上のスマホを開いた。ホーム画面に並ぶ目の前の男と私の写真。楽しそう、不愉快なくらい。あとで絶対に変えよう、ついでに写真も消してやる。イライラしながら、電話帳の一番上、見慣れた名前を指で弾いた。

『もしもし?』

 数コールのうちに出た彼女の声は不機嫌そうだった。多分今もパソコンを睨みつけながら、タバコを吹かしているんだろうな。ここにまで紫煙の香りがしてきそうなくらい、それは容易く想像できる。咳き込みそうなくらい煙たくて、苦くて少し甘い彼女の煙草。

「私、あいつのこと殺しちゃったよ」 
『そっか』

 そっけない返事。仮にも人を殺したと宣言した人間に放る言葉とは思えない。思えないけれど、この女はいつだってこういう奴だから仕方ない。今、目の前で倒れている男が遂に薬に溺れたときも、酒に溺れたときも、この女の反応はこんなものだった。世間話をしているときの方が、もっとまともな言葉が返ってくる。

『それで?』
「……え」

 答えに詰まった。何て言えばいいだろう、どこまでこの女は私を許してくれるだろう。
 電話越しにカタカタとタイピングの音が聞こえてくる。音が変に大きくて鋭いのは多分、彼女のネイルの施された長い爪が、キーボードに当たっているからだ。私は想像する。彼女はスマホを耳と肩で挟みながら、しかめ面でパソコンの画面を見ている。そして紫のラインの入った、あのけばけばしいケースから煙草を取り出して火を付ける。深く吸い込みながら、また画面を見つめる。あの煙草の銘柄は何だったか、もう忘れてしまった。

『逃げるんでしょ?』

 逃げるの? どこに? 私が聞き返したい。でも彼女の中では、そういうことになっているらしい。さも当然というように彼女は返事を待っている。多分、煙草を深く味わいながら。
 逃げる? もう一度床を見回した先に、倒れ伏した男と濃い鉄さびの匂い。ドラマのワンシーンみたいだ、私は別に俳優ではないけど。ましてや私は、探偵や刑事じゃなくて犯人だけれど。非現実感ばかりが漂うこの部屋は、私がこの手で作った。そうか確かに、こんな状況じゃ自首するか逃げるか、そのくらいしかすることがないかもしれないな。だからといって自分から警察に行くのも、何だか億劫だった。

「……うん。逃げるよ」

 そっか、と少しだけ安堵したような声がした。少しだけ電話越しの声がやわらいだ。
 震えの止まった手から包丁を放したら、ガシャンと随分甲高い音。思わず顔をしかめる。うるさい。大きな音だったから窓を見やったけれど、カーテンを締め切ったそこにはもちろん人影はない。

『じゃあ今からそっち行くから。家でしょ?』
「うん」
『ちゃんと準備しててよ』

 準備? 聞き返す前に、ヒステリックに回線は途切れてしまった。全くせっかちだ。そんな場合でもないのにいくらか彼女への悪態をつきながら、棒立ちだった足を踏み出した。あまりにもじっとしすぎて膝が痛い。
 よろめきながらキッチンの水道を捻ると、水が勢い良く流れ出した。手に張り付いた血はまだ乾いていないまま、簡単に流れ落ちた。綺麗になった手を石鹸でこする。痛いくらいに。きっと、こんなに洗ったって警察が調べたら一瞬で分かるんだろうな。ドラマでよく見る、あの血を見つける検査みたいなやつで。でも綺麗に見えるから良いや。かかっていたタオルで手を拭って自分を見下ろす。
 所々に血が跳ねているけれど、別に驚くほどじゃない。コートを着れば十分だ。今が冬先でよかった。

 部屋に戻って、クローゼットの奥からボストンバッグを引っ張りだした。埃を被ったこのバッグを使ったのはもう随分と前。多分、高校の修学旅行。開くと、パンフレットらしきものが数枚散らかっていた。京都、とでかでかと印刷された文字。やっぱり。修学旅行のしおりだ。まだ捨ててなかったんだ、いつまでも片付けられないところは変われない。それでもなんとなくもったいなくて、よれたしおりを再びバッグに仕舞い込んだ。どうせならこいつも連れて行こう。

「着替え……何持ってこう」

 とりあえず下着と数枚の服を突っ込んだ。うまく入らなくて、イライラしながら無理やり詰め込んだ。それから、どうしようかと首をひねる。逃げるって言ったって。バッグを意味もなく引っ掻き回して、しおりを手に取った。パラパラとめくると、持ち物の書かれたページが目に入る。昔の私がつけたボールペンのチェック跡と一緒に。
 これでいいや。逃げるのも旅行するのも、多分やることにそんな変わりはないだろう。世の犯罪者の方々がどうしているかなんて知らない。でも一人くらい、彼女も入れると二人くらい。旅行気分で逃げたって誰も怒らないはずだ。
 昔やったみたいに一つ一つチェックをつけながら、ボストンバッグの隙間を埋めた。コートを着込んで、マフラーをぐるぐる巻き付けて、雪でも降りそうな空を窓から見上げた。

>>91

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.91 )
日時: 2018/01/21 01:01
名前: あんず (ID: EQksipN6)

「いるのー?」

 玄関から耳慣れた声がした。重たいバッグを床において彼女を待つ。特に断りもなく家に上がり込む足音に、少しだけ緊張する。そして現れた、黒のコートと派手なネイル、少し濃いメイク。それに似合わず髪は真っ黒、纏っているのは甘い香水の代わりに甘い紫煙。キャバクラ嬢が、髪だけビジネスマンを真似て真っ黒にしたみたいだ。
 開け放したドアの前に立った彼女は、私を見て突然吹き出した。そんなに変か? 気に食わなくて自分を見下ろすと、手にはまだしおりがあった。二年三組、私の名前。どうやらこれで笑っているらしい。

「ねえあんた、あんたさ、それ見て準備したわけ?」
「……」

 派手な顔を睨みつけて黙ると、彼女は肯定と受け取った。一段と笑い声が大きくなる。沈黙はなんとかの証。日本語に八つ当たりしたって阿呆みたいだけれど、今は恨まずにはいられない。それにこの女の笑い声なんかで近所にバレたら、それほど馬鹿らしいことはない。

「あんたやっぱおかしいって。……それで? 殺したんでしょ?」

 どこ、リビング? 忘れ物でも探すみたいにあっけらかんとしながら、彼女は廊下へ出てしまった。マイペースにも程がある。細身の背中を慌てて追いかけると、リビングのドアはすでに開いている。そうっと覗くと、彼女は物珍しそうに部屋を見回していた。驚く様子はない。

「動いたらどうしようかと思った。死んでるね」
「うん」

 もうちょっと答えようがあるだろうに。彼女は特に気にするでもなく部屋を物色する。鉄さびの臭いと彼女の紫煙が混ざり合って、何とも言えず気持ち悪い。気を紛らわそうと映しっぱなしのテレビに目をやった。
 未だに主人公と悪役は戦っている。字幕に切り替わった画面の上、時折映る「勇気」の文字。勇気、勇気、ってなんなんだ。この主人公は正義感の塊なのかな。煩わしくて、悪役の方が人間じみている。

「冬でよかったね、寒かったら死体って腐りにくいんだよ」

 彼女の突然の声に振り向くと、ちょうどその手にあの包丁を握っていた。それからそっくり同じ場所に置き直す。得意げな顔をしている。何をしているか理解するのに、私の馬鹿な脳みそはたっぷり数秒を要した。

「これで共犯ってことで。いいでしょ」

 抗議をする前に沈黙が断ち切られた。怒ろうとして開いた口が、言葉を失くしてパクパクと動く。音を消した映画と何も変わらない、滑稽な私だ。そう思うと腹ただしくて呆れも失せてしまう。

「……捕まるよ」
「当たり前じゃん、共犯だもん。いいよ、私もこいつのこと大っ嫌いだから」

 それより逃げるんでしょ? 彼女は少しだけついた血をハンカチで拭うと、そのまま背中を向けてしまう。ずんずんと、来たときと同じように廊下を進む。なんなんだ、もう。慌てて部屋に置いてきたボストンバッグを引っ掴んで追いかけたら、彼女はすでにヒールの高いブーツを履いていた。足元にはキャリーバッグ。身軽に動くだとか、そんな考えは一切ないらしい。

 鍵をしっかり閉めて、マンションのエントランスを突っ切る。管理人のおじいさんが、行ってらっしゃいと笑う。行ってきます、といつものように笑い返して、足早に彼女についていく。多分、ここにはもう帰らないだろうけど。

「どこ行くの?」
「あんたが決めてよ。いいよ、どこでも」

 彼女はあの紫のラインの入ったケースから、煙草を一本取り出した。加えたまま火はつけない。私の答えを待っている。

「……京都」

 頭に浮かんだ地名をそのまま口にした。しまった。そう思うよりも前に、彼女の口から笑い声があふれる。苦しそうにヒイヒイして、甲高い声で高笑いみたいに。失礼なやつ。こんなことで怪しまれたら本当に、馬鹿みたいだ。

「いいよ、行こうよ、京都!」

 まだ笑いながら、彼女は駅へ向かう道を進む。我慢しようともせずに響く声がうるさい。こんなに大笑いしながら歩く私達は、やっぱり旅行にでも出かけるテンションだ。跳ねるように彼女が歩く。

「京都ったってさあ、お金あるの?」
「あるよ。それも割とね。私あんたと違って働いてるから」

 心配になって尋ねると、胸を張るように自慢気に返された。悔しい。でもこの女が意外にもきちんと働いているのは事実だし、私が働いていないのも悲しい現実だ。自分の薄っぺらい財布を思うと泣けてくる。

「まったく、あんたさ、あんな薬やってて暴力振るう男に捕まって馬鹿じゃないの?」
「……」

 説教じみた彼女の声がする。うるさいな。そう思うけど、こいつの優しさだってことくらい私にも分かる。耳を塞ぎたくても聞くべきかな。私は本当に馬鹿だけど、こいつはちゃんと真っ当に生きているから。つらつらと続いていく言葉は淀みない。もしかしたらずっと言いたくて、黙っていたのかもしれない。その言葉の中には私の知らない難しい言葉もいくらか混ざっていた。でもきっと、聞き返すのも無粋だろう。

「まあいいや。いくら言っても、殺したのはあんたの勇気だもんね」
「……そういうもの?」
「そういうものでしょ。あんたは勇気ある行動をしたんだって」

 あっけらかんとした声。

 ふと、あのテレビの吹き替えを思い出した。「問おう、君の勇気を」。正義感の塊の主人公。もし本当にあんな勇気を持った人がいたら、私は絶対に悪役だ。最後は倒される、それもいいかな。
 背中を追いかける。私も彼女も黙っている。遂にはっきりと死に顔を見ることのなかった、あの男を思い出す。あいつも私も絶対に悪役だけど、あいつにとって私は主人公だった。彼女曰く。私の勇気によってあの男は殺された。ざまあみろ。私の勇気は、あの男を倒すためにあった。それでいい。
 気分は清々しい。あいつに騙されて惚れたのは私だけど、それを終わらせたのも私だ。私の勇気だ。おめでとう私、今ははっきりと幸せだ。

 彼女の空いている方の手を掴む。黙って二人、手を繋ぐ。悪役の私達の手は、それでもこの寒空の下、熱いくらいに温かかった。

 
***
 
 はじめまして、あんずです。2レスになってしまいましたが、普段書かないジャンルを書くのは楽しかったです。

Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.92 )
日時: 2018/01/21 17:03
名前: ヨモツカミ (ID: /nM/bKMg)

「問おう、君の勇気を」

 暗い景色の中に、吐き出された白い吐息と、言葉。わたしの声は、情けなく震えていたけれど、彼女はきっと、それには気が付かなかった。
 口にしたのは、とあるゲームの有名な台詞だった。かつて、わたしと彼女を繋いでくれた存在。勇者が魔王を倒して、世界を救うという、ありふれたRPG。幼かったわたし達は、共に助け合いながら、世界を救う勇者だった。
 ゲームの世界を救ったあとは、彼女と話す事もなくなってしまったけれど。
 電話口から、呆れるような嘆息が溢れるのを、聞いた。

「なに、用はそれだけ? 私忙しいんだけど」
「あっ、あ、えっと……」

 素っ気ない返事。煩わしそうに、尖った口調。そうか、やっぱり。わたしはあなたにとって、どうでもいい存在になっていたんだね。
 中学に上がって、同じクラスになれたにもかかわらず、教室の端っこで、本と向かい合うだけのわたしと彼女が、言葉を交わすことは無く、沢山の友達に囲まれて、キラキラと笑うあなたは、とても、とても遠い人になっていた。
 わたしにとって、一番の友達でも、あなたにとっては、どうでもいいクラスメイトだったのだろう。察していたくせに、認めたくなかったから、気付かないふりをしていた。
 SNSで数日前に彼女に送信し、未読無視された「疲れた」と「死にたい」のメッセージも。彼女が運動部だから、忙しくてSNSを見る暇も無いのかな、なんて。理由を探して、認めないように、必死になっていて。
 馬鹿みたい。
 こんな、夜遅くに電話を掛けて、勿論あなたは、出てくれないと思っていたから。声が聞けた瞬間、何かを期待してしまった。

「切るよ」
「あ――……うん、バイバイ」

 伝えたいはずの言葉が、見つからなくて。結局、それしか言えなかった。プツン、と機械的な音と静寂が、せっかく繋がった彼女と、わたしを隔ててしまう。
 ぼんやりと、スマホの黒い画面に映る自分の顔を見ていたら、隈の目立つ両目から、ポロポロ。決壊したダムのように、拭っても、拭っても、無駄なようで。頬を伝っていく雫が、マフラーに染みをつくる。
 吹き付ける夜風に、思わず身震いをした。一人でいると、尚更寒く感じる。孤独なんて、慣れた気がしていたのにな。
 ほんの少しでいいから、話を聞いてほしかった。わたしたちは友達だから、きっと心配してくれると、思っていた。親も、先生も、信じたくなくなってしまったわたしでも、彼女だけは、信じてみようと、思ったのに。
 止めてほしかった。彼女がなにか言ってくれれば、そうすれば、生きる勇気を、持てそうだったのに。
 裏切られたんじゃない。最初から、それだけの関係だったのだ。勝手に期待して、勝手に落ち込んで。

「……ばか、みたい」

 誰かを信じてみる勇気は、粉々に砕けて、わたし自身も、今から粉々に砕けるの。
 乗り越えたフェンスの先、支えは無く、見渡す限りの夜景。月も見えない、暗色の雲につぶされた空。わたしにはお似合いかな。力が入らず、足元がふわふわ。傾ぐ身体。浮遊感。急降下。
 不思議と恐怖は無かった。ただ、少しだけ寂しい。



 電話口から聞こえた言葉の意味を、今になって考えてみる。
 学校から連絡があって、昨日彼女が、高層マンションから飛び降りて自殺したと聞かされた。折角の休日の朝から、そんなこと聞きたくなかった。
 昨夜の電話が彼女なりの遺言だったらしいが、回りくどい言い方をして。頼りたいなら一言「助けて」と言えばよかったのに。時計の針が天辺を少し過ぎる深夜、私の貴重な睡眠を妨げてまで伝えたかった遺言が、アレなのか。
 彼女を失った悲しみや喪失感は微塵もなかった。同じクラスではあるが会話をした記憶はないし、SNSでの連絡先は交換していたが、連絡も取ってなかったし。会話履歴は4月くらいに「同じクラスになったね。よろしくね」「うん、よろしく」というやり取りをしたあと、一昨日彼女が送り付けてきた「死にたい」と「疲れた」だけ。最近よく耳にするメンヘラと呼ばれる人種の戯言かと思って無視をしていたが、まさか本当に死ぬとは思わなかった。
 何故死に際に電話をかけてきたのが私だったのか。
 彼女は小学生の時もいつも自分の席で本と向かい合うだけの暗い子で、気まぐれになんの本を読んでいるのだろうと覗き混んだら、私もハマっていたゲームの本だったので、折角だから一緒に攻略しようと協力し合った。それ以外の関わりはない。
 ああ、そういえば彼女の遺言は、あのゲームの有名な台詞だったっけ。それは確か、ラスボスである魔王の台詞。
 彼女は何のために死んだのだろう。いじめを受けていたわけでもないし、勉強ができなかったわけでもない。家庭内に問題があったわけでもないらしい。ただ、いつも自分の席で本と向かい合うだけの生活をしているように見えた。

 だとすれば、何が彼女を殺したのか。

 私は自室の勉強机の上を見回した。片付けても一日で元の汚さを取り戻す机は、文房具だの漫画だの食べかけのお菓子だのでごった返している。そこを引っ掻き回してみると、案外簡単にそれは見つかった。
 昔、彼女と一緒にやったゲームのパッケージに、大きなタイトルロゴと柔らかく微笑む勇者と、その後ろで不敵に笑う魔王が描かれている。魔王は確か元は勇者の親友で、共に旅をしているうちに道を踏み外して、魔王となった。ラストダンジョンの最深部で、魔王が「勇者ならば友であろうと殺してみろ」と喚き叫んでいたのを思い出す。

『問おう、君の勇気を――』

 ――君に世界は救えるか? 私を殺し、世界に光を取り戻せるか? 選択せよ勇者。私を殺すか、それとも君が死ぬか。

 それから、勇者は魔王になんて返したんだっけ?

「……“僕は救うよ。世界も、君の事も。だって、親友のいない世界を救ったって意味がない”」

 声に出してみたら、私しかいない部屋で妙に虚しく響いた。
 そうやって笑う勇者みたいに、私も彼女を救えたかもしれなかった。いや、違うだろう。彼女だってあのゲームを通して勇者になったはずなんだ。だけど彼女は生きることから逃げた。死ぬのは勇気じゃない。彼女はただの臆病者だ。
 ふと、戦闘が下手くそな彼女が何度も何度も倒れるから、何度も何度も蘇生魔法を唱えたのを思い出した。私のMPは、彼女を復活させることにばかり費やされていた。
 現実じゃ、蘇生魔法なんか使えないのに。なんで死んだの。呪文一つで生き返るのは、ゲームの中だけなんだよ。

「……馬鹿みたい」

 これは、彼女の口癖だったっけ。


***
死ぬことに勇気を出すくらいなら、生きる勇気を持ってほしかった。彼女は勇者ではなく、ただの臆病者。
救えなかった私は、悪くない。何一つ。何一つだ。

暗い話を書きたいなーと思って書きましたが、屋上ネタやや被ってしまってほんのり気まずいですね。マジパクってないんです、ただきっと、思考回路が似ていたのかもしれません。

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